リラ僧院

 首都ソフィアから南へ約120Km、リラ山の山奥、そこにブルガリア正教の総本山「リラの僧院」があります。
 その歴史は、10世紀のはじめイヴァン・リルスキーという修道僧が小さな寺院を建てて隠遁生活入ったことにはじまります。そして、その名もいつしかリルスキーから由来して「リラの僧院」と呼ばれるようになります。
 以後、彼を慕う修行僧や信者たちがこの地に集まり、やがてブルガリアの人々の心のよりどころとなり、文化の中心となっていくことになります。
 

 僧院は、第2次ブルガリア帝国(1186〜1393)の隆盛とともに王の庇護のもとに僧院文化がはな開き、14世紀に現在の形態に整えられました。そして、最盛期には約360の房に僧が寝泊まりし修行に励んでおりました。

 その後、ブルガリアは約500年間オスマン・トルコに支配されることになり、この間、一般の人たちはイスラム信仰が強制され、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことさえ制限されましたが、この僧院だけは、その信仰やブルガリア語の書物を読むことが暗黙に認められ、ブルガリアの文化が守り続けられました。

 現在の建物の大半は、19世紀に立て直されたものですが、1983年にはユネスコの世界文化遺産に登録されます。なかのフレリョの塔は、14世紀に建てられたままのものです。

 僧院近くの山中にイヴァン・リルスキーが当初修行したゆかりの岩屋が残っております。
 彼は、日々修行に没頭し、神の声を聞き、人々を導き、邪悪なものを浄化する霊的な力が授けられており、信者自らに自己探求をうながして、刹那的な欲望への迷いから救出し神の知恵へと導くことができた、といいます。


聖母誕生教会

 要塞のような外房に守られて、真ん中に凛とした存在感を示しているのが、聖母誕生教会です。
 19世紀初めに建てられたもので、3つのドームが印象的な教会です。
 教会の内部、回廊の壁、天井を埋め尽くしているフレスコ画は、19世紀初めに当時の著名な画家たちによって描かれました。キリストや聖母マリア、その弟子たちの肖像、聖書に基づく物語などが描かれております。フレスコ画の数は全て合わせると1,200以上にのぼります。
 教会内部のイコン(聖人の図像)は幅が10mもあります。
 教会の建物自体は、1833年の火事の後に再建されたものです。

(写真は、クリックすると拡大表示されます。)



フレリョの塔

 1833年の大火でも焼け残り、1335年建造のまま残っております。
 高さ25m、屋上に胸壁を巡らせ何重もの控えの壁を持ちます。外壁の壁画もほとんどが損傷を受けずに残っており、充分に鑑賞に耐えうるものです。
 1階が、おみやげもの屋さんになっています。

(写真は、クリックすると拡大表示されます。)



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