【探訪】ブルガリア・リラの僧院 動乱の地に立つ民族の誇り

産経新聞より転載

城壁のような僧坊が中庭の聖母誕生教会を取り囲むリラの僧院
城壁のような僧坊が中庭の聖母誕生教会を取り囲むリラの僧院

 人里離れた山の奥深くに、高さ20メートルの外壁で囲まれた要塞(ようさい)のような建物群がある。ブルガリア正教の総本山ともいえる「リラの僧院」は、バルカン半島の過酷な歴史を生き抜いた民族の誇りでもある。

 首都ソフィアから南へ約120キロ。舗装道路といっても途中、継ぎはぎだらけの山道を車に揺られながら約2時間。標高1147メートル、針葉樹林を抜ける風がすがすがしい。外壁をくり抜いたような門をくぐると中庭の聖母誕生教会のしま模様など、色彩豊かな世界が訪問者の意表をつく。こんな山奥によくぞこれだけのものを−。

 さらに教会に近づくと、回廊の天井や壁いっぱいに広がる宗教画に圧倒される。聖書の場面や聖人を描いたフレスコ画で埋め尽くされ、その生き生きとした表情は西ヨーロッパで見る宗教画よりもむしろ、アジアのヒンズー寺院や仏寺にある土俗的な絵に近い。異文化が混在したバルカン半島の独特の歴史がしのばれる。

 僧院は僧侶イバン・リルスキーが10世紀、近くの岩屋で隠とん生活を始めたことに由来する。神の声を聞きさまざまな奇跡を起こしたという。14世紀にはほぼ現在の形になった。オスマン・トルコによる支配で以後約500年間、キリスト教の信仰や自国語の書物は制限されたが、この僧院だけは黙認され、360ある僧坊に全国から僧が集まっていたという。

 1833年にフレリョの塔を残して大部分を焼失したが1860年に再建され、1983年には世界文化遺産に登録された。

 案内してくれた僧院の歴史博物館員、ゾルカ・ベロチェバさんは「支配された苦難の時代を通じて信仰と独自の文化を守り続けた僧院は、民族自立の精神的な支えになったのです」と誇らしげに話してくれた。

2008.7.7(産経写真報道局 飯田英男)       


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