私たちソフィアファミリーが、グループとして活動を始めてから、今年で15年という節目の年を迎えます。
ブルガリア大好き人間の集まり、ソフィアファミリーがブルガリアの紹介を始めたのは、ブルガリアに興味を持つ仲間たちで、1999年8月にはじめてブルガリアを訪れたことに始まります。
グループの推進者倉持八郎が、早くからブルガリアとの交流があり、その彼の誘いに応じた仲間たちで“ソフィアファミリー”と命名してその活動を始めました。
そして、これまで一生懸命、全力で、<自然が豊かで親切でやさしい人たちが住む国:ブルガリア>を皆さんに紹介してまいりました。
そこで、発足15周年を機に、これまでの足跡を写真で振り返り、年を追って、皆さんにも紹介させていただくことにしました。
ご覧いただければ、幸甚です。
5月にポーランドから始まり、チェコ、オーストリアそしてハンガリー、目的地ブルガリアと巡る旅は、最後に一大イヴェント<バラ祭り>の見学をしました。
村ごと歴史博物館のコプリフシティツァ村でのブルガリアを堪能した後、カザンラク市へ向かいます。
前日に、バラ祭り会場のカザンラク市近くのヒサル温泉でのホテルに宿泊。
6月5日(日)朝早く、夜も明けぬうちにバスで一路カザンラクのバラ畑をめざします。
到着を待っていたのは、民族衣装で着飾った地元の少年少女たち。
毎年、この日は各国からたくさんの観光客が、このバラ祭りを目当てにやってきます。
そんな人たちを、にぎやかにあたたかくフォークダンスでおもてなし、です。
1人1人に歓迎のバラの花の首飾りをかけてくれました。 |
始まる前に、記念撮影です。 |
いよいよ歓迎のフォークダンスの始まりです。 |
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観光客へのおもてなし、元気な華やかなフォークダンスをご覧ください。 | |||
華やかなフォークダンスが終わり、バラ摘み体験と記念写真です。 | |||
そして、カザンラク市のメインストリートに移動。 圧巻!バラの女王パレードが観客を引き付けます。 |
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引き続き、各民族、各団体がそれぞれの民族衣装や趣向を凝らしたアイディアで大パレード。 |
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いかがだったでしょうか? |
百聞一見にしかず。
毎年6月第1週にカザンラク市を中心に行われる“バラ祭り”。
まさに一見の価値ありです。
ぜひ一度おいで下さい。
1999年初訪問のの鮮烈な印象を思い出しつつ、再びブルガリアを訪問しました。
まず、東欧の各国を訪れ、そしてブルガリアへ。
東欧では、ポーランドのワルシャワそしてアウシュビッツ収容所跡が保存されているクラコフ。
チェコでは、プラハ城やヨーロッパ中に有名であるビール酒場「ウ・フレク」など、首都プラハ。
オーストリアはウイーン、ワイン酒場のホイリゲ。そして、今は博物館となっている宮殿。
そして、ドナウ川の船着き場から船で下り、そのままハンガリーのブダペストへ。
最後に、目的地ブルガリアへ飛びました。
ブルガリアでは、村ごと歴史博物館となっているコプリフシティツァ村も訪問しました。
今回の旅は、ポーランドから入りました。
負の世界遺産、ユダヤ人虐殺の現場:ビルケナウ収容所
重い遺産をあとにして、 次に訪れたのはチェコ。100塔の街プラハです。
オーストリアのウイーンに移ります。
東欧歴訪最後の都市、ハンガリーの首都ブダペストです。 ハンガリーは、ヨーロッパでは唯一、氏名表記が姓が先で名が後にくるアジア的な標記となっています。 この理由は、建国の民族がアジアから渡ってきた民族であることから由来しているのだそうです。 ガイドのカタリーナさんは、歴史研究の結果、日本人と祖先が同じアジア民族であることに行き着き、日本語を学ぶことにした、と語ってくれました。
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いよいよ目的地ブルガリアに入ります。
すでに、里帰りの気分です。
旧知のセルヴェゾフ元大使が、空港まで出迎えてくれました。 | 夕食に、ガイドのポポヴァさんの案内で、民族レストランへ。 | ブルガリアンダンスを鑑賞しながら、ディナーとしゃれて。 | ||||||
庭で伝統の火渡りショー。日本の山伏火渡りに似ています。 | 翌日は、2度目のリラ僧院へ。ブルガリアの心に触れます。 | あらためて、その壮言な姿に魅入りました。 | ||||||
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村ごと歴史博物館のコプリフシティツァ村も行きました。 | 石垣の塀がある家。ここはホテルです。 | 村はずれに、革命戦士の息子の帰りを待つ母親の像。 | ||||||
コプリフシティツァ村は、独立運動の口火が切られた村として有名です。 | コプリフシティツァ村の家々。 | 独立運動の口火は、この橋の上での1発の銃声で切られました。 |
訪問最後の一日は、バラ祭り見学。
これらの紹介は、「ブルガリア訪問最後の一日(バラ祭り)」として、別にまとめて紹介いたしております。
バルカン山脈を臨む豊かな自然に、しばし心を奪われました。 | ||
お別れに際して、セルヴェゾフ氏招待の晩さん会で。 | 女性陣は、日本の民族衣装和服で 出席し、礼を尽くしました。 |
私たちのブルガリアとの懸け橋、心強いパートナー:シルヴィア・ポポヴァさんが来日し、ソフィアファミリーメンバーで、ささやかながら、心を込めた歓迎の宴を催しました。
ブルガリアからの旅行団のガイドとしての訪日ですが、大事なふたりのお嬢さんを同行してのしばしの日本観光を楽しんだようです。
その時の写真です。
2人のお嬢さんに囲まれて幸せいっぱいのポポワさん | ||
パブからカフェに場所を移して |
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1999年8月、あこがれのブルガリアへ。
ギリシャから入り、帰りは、パリを経由して帰る、というルートで行きました。
この旅行を機に、ソフィアファミリーとしてグループ活動を始めた記念すべき1週間です。
ギリシャにて
ブルガリアに入る
元駐日大使セルヴェゾフさんの招待による民族レストランにて
ブルガリアのシンボル:リラの僧院に行きました。
観光で、いろいろなところをまわりました。
ルーメン・セルヴェゾフ元大使宅へのご招待
ブルガリア最終日の1日
帰路、立ち寄ったパリで
見るもの聞くものはじめてのものばかり。 ブルガリアほかの人々と触れ合うとの交流の旅は、あっという間の8日間でした。 しかし、ブルガリアは、“自然が豊かで、親切でやさしい人柄の国”として、たくさんの魅力ある顔を見せてくれました。 皆、熱烈に恋のとりこになって帰ってまいりました。 |