写真で語る15年
ソフィアファミリー15年の歩み


私たちソフィアファミリーが、グループとして活動を始めてから、今年で15年という節目の年を迎えます。
ブルガリア大好き人間の集まり、ソフィアファミリーがブルガリアの紹介を始めたのは、ブルガリアに興味を持つ仲間たちで、1999年8月にはじめてブルガリアを訪れたことに始まります。
グループの推進者倉持八郎が、早くからブルガリアとの交流があり、その彼の誘いに応じた仲間たちで“ソフィアファミリー”と命名してその活動を始めました。
そして、これまで一生懸命、全力で、<自然が豊かで親切でやさしい人たちが住む国:ブルガリア>を皆さんに紹介してまいりました。
そこで、発足15周年を機に、これまでの足跡を写真で振り返り、年を追って、皆さんにも紹介させていただくことにしました。
ご覧いただければ、幸甚です。


も     く     じ
2005年6月 ブルガリア訪問最後の一日(バラ祭り)
2005年5月 再びのブルガリア訪問
2002年1月 シルヴィア・ポポヴァさん来日!!
1999年 はじめてのブルガリア訪問!!

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2005年6月:ブルガリア訪問最後の一日(バラ祭り)


5月にポーランドから始まり、チェコ、オーストリアそしてハンガリー、目的地ブルガリアと巡る旅は、最後に一大イヴェント<バラ祭り>の見学をしました。
村ごと歴史博物館のコプリフシティツァ村でのブルガリアを堪能した後、カザンラク市へ向かいます。

前日に、バラ祭り会場のカザンラク市近くのヒサル温泉でのホテルに宿泊。
6月5日(日)朝早く、夜も明けぬうちにバスで一路カザンラクのバラ畑をめざします。


到着を待っていたのは、民族衣装で着飾った地元の少年少女たち。
毎年、この日は各国からたくさんの観光客が、このバラ祭りを目当てにやってきます。
そんな人たちを、にぎやかにあたたかくフォークダンスでおもてなし、です。


1人1人に歓迎のバラの花の首飾りをかけてくれました。

始まる前に、記念撮影です。

いよいよ歓迎のフォークダンスの始まりです。
観光客へのおもてなし、元気な華やかなフォークダンスをご覧ください。
    
華やかなフォークダンスが終わり、バラ摘み体験と記念写真です。

そして、カザンラク市のメインストリートに移動。
圧巻!バラの女王パレードが観客を引き付けます。
 

引き続き、各民族、各団体がそれぞれの民族衣装や趣向を凝らしたアイディアで大パレード。

いかがだったでしょうか?


百聞一見にしかず。
毎年6月第1週にカザンラク市を中心に行われる“バラ祭り”。
まさに一見の価値ありです。
ぜひ一度おいで下さい。


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2005年5月:再びのブルガリア訪問

1999年初訪問のの鮮烈な印象を思い出しつつ、再びブルガリアを訪問しました。
まず、東欧の各国を訪れ、そしてブルガリアへ。
東欧では、ポーランドのワルシャワそしてアウシュビッツ収容所跡が保存されているクラコフ。
チェコでは、プラハ城やヨーロッパ中に有名であるビール酒場「ウ・フレク」など、首都プラハ。
オーストリアはウイーン、ワイン酒場のホイリゲ。そして、今は博物館となっている宮殿。
そして、ドナウ川の船着き場から船で下り、そのままハンガリーのブダペストへ。

最後に、目的地ブルガリアへ飛びました。
ブルガリアでは、村ごと歴史博物館となっているコプリフシティツァ村も訪問しました。


今回の旅は、ポーランドから入りました。
まず、ポーランドのワルシャワに到着。歴訪のスタートです。 ワルシャワ駅正面(市内めぐりの後、列車でナチス収容所跡へ) クラコフ行1等車にてくつろぐ。アウシュビッツに向かいます。

負の世界遺産、ユダヤ人虐殺の現場:ビルケナウ収容所
死の入口が今でも不気味なナチスのユダヤ人収容所 収容所跡は、何事もなかったかのごとくのどか。やはり、不気味。 使用済み毒ガスチクロンB空き缶の山
収容されたユダヤ人が移送時に帯行し没収されたトランクの山 粗末な床上布団がびっしりと。 焼却炉の前で、唯一日本人解説者中谷さんのことばが詰まります。
地下に、左がガス室あと、右が焼却炉あと。ナチス敗戦の退却時に、すべて破壊して証拠隠滅をはかった残骸です。 戦後捕らわれたナチス初代収容所長ヘスがここで処刑されました。

重い遺産をあとにして、
次に訪れたのはチェコ。100塔の街プラハです。

到着の夜、ビール酒場「ウ・フレク」でドイツからのビールツアー客と交流。 チェコでドイツ人と日本人の、まさに国際交流の花開く。 翌朝、プラハ城前にて、衛兵と。
ガイドのカテリーナ嬢を囲んで記念撮影 100塔の街、と言われるプラハは、このような塔が至る所に。 チェコは人形劇も有名です。
※プラハについては、ガイドのカテリーナさんが、後日プラハの魅力をふんだんに盛り込んだ紹介記事「プラハ便り」を寄稿してくれました。ホームページの表紙の(入口)より入り、目次(寄稿)を開くと、「プラハ便り」にてご覧いただけます。

オーストリアのウイーンに移ります。
オーストリア探訪開始。ベルベデーレ宮殿前で記念撮影。
王女マリーアントワネットとモーツアルト対面伝説がある
シェーンブルン宮殿。
路面電車に乗って、Vienna市内を車窓見学です。
 
喫茶「モーツアルト」にて、ひとやすみ。       夕方、ウィーンの森、ワイン酒場「ホイリゲ」へ。

東欧歴訪最後の都市、ハンガリーの首都ブダペストです。
ハンガリーは、ヨーロッパでは唯一、氏名表記が姓が先で名が後にくるアジア的な標記となっています。
この理由は、建国の民族がアジアから渡ってきた民族であることから由来しているのだそうです。
ガイドのカタリーナさんは、歴史研究の結果、日本人と祖先が同じアジア民族であることに行き着き、日本語を学ぶことにした、と語ってくれました。
中央にそびえる建物は、ハンガリーの国会議事堂です。 建国の祖、アジアからの7人の部族長の銅像です。 ホテルロビーにて、ガイドのカタリーナさんとお別れの記念写真


いよいよ目的地ブルガリアに入ります。
すでに、里帰りの気分です。

旧知のセルヴェゾフ元大使が、空港まで出迎えてくれました。 夕食に、ガイドのポポヴァさんの案内で、民族レストランへ。 ブルガリアンダンスを鑑賞しながら、ディナーとしゃれて。
庭で伝統の火渡りショー。日本の山伏火渡りに似ています。 翌日は、2度目のリラ僧院へ。ブルガリアの心に触れます。 あらためて、その壮言な姿に魅入りました。
コスミックのブルガリアンヴォイスも鑑賞しました。それぞれの個性に合わせた民族衣装が印象的でした。
村ごと歴史博物館のコプリフシティツァ村も行きました。 石垣の塀がある家。ここはホテルです。 村はずれに、革命戦士の息子の帰りを待つ母親の像。
コプリフシティツァ村は、独立運動の口火が切られた村として有名です。 コプリフシティツァ村の家々。 独立運動の口火は、この橋の上での1発の銃声で切られました。

訪問最後の一日は、バラ祭り見学。
これらの紹介は、「ブルガリア訪問最後の一日(バラ祭り)」として、別にまとめて紹介いたしております。

バルカン山脈を臨む豊かな自然に、しばし心を奪われました。
お別れに際して、セルヴェゾフ氏招待の晩さん会で。 女性陣は、日本の民族衣装和服で
出席し、礼を尽くしました。

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     2002年1月:シルヴィア・ポポヴァさん来日!!

私たちのブルガリアとの懸け橋、心強いパートナー:シルヴィア・ポポヴァさんが来日し、ソフィアファミリーメンバーで、ささやかながら、心を込めた歓迎の宴を催しました。
ブルガリアからの旅行団のガイドとしての訪日ですが、大事なふたりのお嬢さんを同行してのしばしの日本観光を楽しんだようです。
その時の写真です。

東京・新宿の中村屋パブ「ラコンテ」にて、楽しい再会の場となりました。
2人のお嬢さんに囲まれて幸せいっぱいのポポワさん

パブからカフェに場所を移して


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       1999年:初めてのブルガリア訪問


1999年8月、あこがれのブルガリアへ。
ギリシャから入り、帰りは、パリを経由して帰る、というルートで行きました。

この旅行を機に、ソフィアファミリーとしてグループ活動を始めた記念すべき1週間です。


ギリシャにて


ギリシャアテネの第1回オリンピック競技場跡にて記念撮影

大統領府前の衛兵交代儀式

ギリシャと言えばパルテノン神殿。心に残る風貌です。
              
              光の強さからくるのでしょうか。エーゲ海の海の青さが忘れられません。

ブルガリアに入る

到着したソフィア空港からホテルへの道。
ガイドのシルヴィア・ポポヴァさん。この時が初の対面です。 

有名な建物、
元共産党本部

大統領府衛兵
交代式1 

大統領府衛兵
交代式2 

チェスの名人戦?日本で昔よく見かけた縁台将棋のブルガリア版です。それにしてもたくさんの観戦者たち。

ブルガリアの子どもたち
 

おばあさんが孫とその友達と観光とか。それにしても、それぞれ人種が違い、民族共存国家のブルガリアならでは。

元駐日大使セルヴェゾフさんの招待による民族レストランにて

店の前で記念撮影。

にぎやかな宴

 

 

 

わが倉持もダンスにかり出されて

隣の人の帯をつかんで踊るのがブルガリアンダンスの特徴

ブルガリアのシンボル:リラの僧院に行きました。

 

皆で記念撮影

 

何と言っても壁画。圧巻でした。

各階は僧坊になっています。 

 
 

僧坊内部
 

 
 

僧院の現存する最古の建物
フレリョの塔

塔の1階はおみやげ物の
店に 

観光で、いろいろなところをまわりました。

旅の途中、レストランでランチタイム

 

 ガイドのポポワさんと運転手のイギナッツさん

プロブディフのモスクも見学
   

バチコヴァ僧院。おとぎ話に
出てくるお菓子の家のよう

バチコヴァ僧院にて
記念撮影 

シプカ峠。
独立戦争激戦地の記念碑。

第2ブルガリア帝国の要塞跡。(ヴェリコ・タルノヴォ)

入口の門です
 

要塞跡で、夜になるとライトアップのショーがあります。

 

 

タルノヴォ市の郊外
 

農村の民家
 

農村では、ロバが活躍していました。
ファミリーメンバーが乗せてもらいました。

都市郊外でよく見かける、2階がせり出している民家

民家2

プロブディフのホテルフロント前で勢揃い

途中、高原のレストランでくつろぐ

ソフィア郊外の農家を訪問し、農業経営の苦労話などを。

 

ルーメン・セルヴェゾフ元大使宅へのご招待

左は、セルヴェゾフ夫人。元ノルウェー大使です。

ジンベェを着て歓待してくれたセルヴェゾフさん。

全員で、晴れやかに記念撮影。

ブルガリア最終日の1日

ビトウシャ山の岩石群

 

宿泊ホテル:ケンピンスキーのロビーにて。

帰路、立ち寄ったパリで

ルーブル美術館の前で
 

ルーブル美術館をバックに記念撮影
 

はじめてみるエッフェル塔
 

うしろはパリガイドの
ララニさん


見るもの聞くものはじめてのものばかり。
ブルガリアほかの人々と触れ合うとの交流の旅は、あっという間の8日間でした。

しかし、ブルガリアは、“自然が豊かで、親切でやさしい人柄の国”として、たくさんの魅力ある顔を見せてくれました。
皆、熱烈に恋のとりこになって帰ってまいりました。


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