リレー・フォー・ライフ川越2012

 2012年9月15日(土)、ガン征圧へ向けた世界共通のチャリティーイベント「リレー・フォー・ライフ」(第4回川越2012)に参加してまいりました。
 その様子を写真で紹介いたします。
 「リレー・フォー・ライフ」とは、そもそもどのようなものなのか、については、下段で説明いたします。


 リレーフォーライフ参加にあたって 
サンバルカン 白 玉 優 子


 少し両親の話をさせて頂きます。

 父と母が亡くなって1年が過ぎました。

 父が胃癌で余命1か月と知ったときは、本当につらかったです。父は一切の治療はしないでくれと言ってから心臓が止まるまで、一度も痛い””つらいとは言いませんでした。

 今思うと改めて父の強さを感じます。また、その意思を通してくれた主治医の先生にも感謝しています。

 頑固な父でしたので、最初の先生とは相性が悪かったのか、先生の言うことに反発ばかりしていました。次の先生とは相性が良かったのです。

 やはり人間ですので、相性というものがあるという事をつくづく思いました。

 主治医を変えていくのも治療を行っていく上では必要なものではないでしょうか。

 父が亡くなって2か月後、母も仲良しだった父のもとへ逝ってしまいました。

 母も13年前に甲状腺癌にかかり、大手術をしました。その当時は、癌イコール死と思っていたので、告知された後は、家族で沢山話し合いをしたこと思い出します。

 あの当時、リレーフォーライフの様な場所があるとこを知っていたら、また別のケアが母に出来ていたのかもしれません。

 もし今、そうのような人がたちがいたら少しでも私たちの経験を伝え、笑顔になれるように応援したく、参加しました。

 最後になき父・母の娘たちでよかった。

 いつも両親が言っていた姉妹仲良くというう意味が、今は、ハッキリわかります。これからも姉妹で協力しあい、仲良く頑張っていきます。

 空の上から私たちのダンスをしっかり見ていてください。


リレー・フォー・ライフとは

それは、助け合おうというきっかけではじまりました。

 リレー・フォー・ライフ(命のリレー)は、1985年にアメリカで始まりました。走る事が得意なゴルディー・クラッド医師がアメリカがん協会のために寄付を集めようと、トラックを一周するたびに友人から寄付を募り、2万7千ドルを集めました。翌年は、参加者を増やすために翌年からは医師、患者やその家族、友人が数人ずつのチームを組むリレー形式になりました。 24時間歩き続けるなかで、参加者の間にがんと闘う連帯感が生まれたのです。
 単なる資金集めのイベントとしてではなく、地域社会全体でがんと闘うためのきずなを育む場としてリレー・フォー・ライフは大きく広がり、現在では全米5000ヵ所以上、世界20ヶ国以上で行われるようになりました。
 患者支援を目的にした寄付プログラムとしても認識が深まり、20ヵ所で聞かれた2011年は119、794人が参加し、7、800万円余りが実行委員会から寄付されました。ルールに従って世界へも総収入1%にあたる70余万円を世界の患者支援に送ることができました。
 リレー・フォーライフ(命のリレー)は、‘がん細胞は夜も眠らない'事から夜を徹して行うイベントです。‘どんなに暗い夜でも朝が来る'事がらリレー・フォー・ライフの色は暁の紫なのです。集まった人達が皆で同じグランドを同じ方角を向いて歩き続ける事により、お互いの連帯が生まれます。また、がんについて各地域コミュニティーを啓発する機会になります。地域全体を一堂に集め、サバイバーの勇気を称え(Celebrate)、がんで亡くなった人たちについて振り返り(Remember)、がんに負けない(Fight back)為に様々な事について学びます。参加者たちが早期発見や予防などについて学ぶ絶好の機会でもあります。


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