ヨーグルト(ブルガリア) 魔法の枝から乳酸菌
ヨーグルトは牛や羊の乳に乳酸菌を加え、発酵させて作る。だがブルガリアでは、ミルクに木の枝や朝露を入れただけで、ヨーグルトになるという。一体、どんな魔法が使われているのだろうか。
首都ソフィアの渋滞を抜け、田舎道を車で2時間。バルカン山脈のふもとに着く。石畳の道に石の壁。家々の煙突が細い煙を吐いている。コプリフシティツァは、民話の舞台のような村だった。
村外れの森では、デスヨ・ラドエフさん(47)を先頭に、羊の群れが細長い雲のように続いていた。「羊飼いは昔はたくさんいたが、今じゃこの辺では私くらい。お金にならないからね」
8人家族だが、別々に暮らす長女やいとこも土日には集まってくる。全部で12人。用意するのは10リットルもの大量のヨーグルトだ。
デスヨさんは羊の乳、妻のコイカさん(45)は牛の乳を搾る。乳を沸騰させ、適当な温度になると前日のヨーグルトの残りを「タネ」として入れる。羊毛で包み3時間ほどで完成。遠い昔から先祖代々、そうして毎日作り続けてきた。
日曜の夕方。食卓の周りにぎっしり並んだ一族の前に、ヨーグルト尽くしの料理が次々と運ばれる。普通の、そして水切りしたヨーグルト。イラクサに添えるのも、キャベツ料理のソースもヨーグルト。羊の丸焼きにも、肉を軟らかくするために擦り込んである。
「朝、昼、晩。ヨーグルトはいつも食べますよ」。コイカさんが言う。肉も野菜も自給自足。自家製の強烈な蒸留酒を飲みながら、みんなあきれるほどよく食べる。
ところで木の枝や朝露でヨーグルトが出来るというのは本当なのか? 「作ったことはないけど、昔からそう聞いています。森にも草むらにも、生きた乳酸菌が棲んでいるからでしょう」とコイカさん。試してもらうことにした。
翌日、デスヨさんの放牧地で、草に付いた朝露を集め、近所の庭からツゲの木の枝をもらう。別々に牛乳に入れて3時間。ツゲの枝を3本投じた鍋は、見事にヨーグルトが出来ていた。朝露の方は半分ほど固まった状態で失敗。前夜の雨の影響かもしれない。
魔法のヨーグルトは、すっぱくなくてマイルド。ミルクの味がそのまま生きている。
「ブルガリアは天国の一部」という言い伝えがある。それが本当だとしたら、天国とは乳酸菌に満ちあふれた世界に違いない。
(文・小梶勝男 写真・松本剛)
コプリフシティツァ(ブルガリア) 革命への思い 脈々と
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ブルガリアの家庭料理にヨーグルトは欠かせない |
ブルガリアといえばすぐにヨーグルトが思い浮かぶ。ヨーグルトの年間1人当たりの消費量は日本人が8キロに対し、ブルガリア人は何と30キロ以上。ヨーロッパの中でもフィンランドやスウェーデンと並んで圧倒的に多い。
どうやってそんなに大量のヨーグルトを食べるのだろうか。コプリフシティツァのレストラン兼ホテル「チュチュラ」を訪ねた。オーナーのラシュコ・ザイコフさん(43)と妻のクンカさん(37)が“証拠”を見せてくれるという。
スープ、サラダ、肉、デザート。様々な料理が出てきたが、実はすべてにヨーグルトが使われている。スープのコクを出すため、サラダのあえ物として、肉にはソースとして。
これらは調味料としての使い方だが、もちろん、ジャムなどをかけてそのままデザートとしても食べる。「ブルガリア料理とはヨーグルトの味でしょうね。これがないと始まりません」。ラシュコさんが言う。
その他、パイなどの生地にも入れるし、水を混ぜてドリンクとしても飲む。「疲れたときは250グラムくらい食べると力が出るし、二日酔いにもいい」とラシュコさんが言えば、クンカさんは「美容のため肌にも塗ります」。ここでの暮らしは、まさに“ヨーグルト漬け”だ。
レストランを出て村を歩く。中心部は半日で回れるほど小さいが、何とも情緒があって美しい。
村を縫うように流れる川、大小の石橋。そして家々の風情が独特だ。
実はコプリフシティツァは、「美術館都市」と呼ばれ、国内からも人が集まる有名な観光地だ。19世紀前半から半ばにかけて、様々な建築様式で建てられた家々が、今もそのまま残っている。そのうち6軒の屋敷が、「ハウスミュージアム」として保存・公開されている。いわば村の家並みがそのまま美術館だ。
6軒の一つ、「オスレコフ・ハウス」で、ガイドのペパ・スケンデロバさん(43)に会った。19世紀、ここには羊飼いがたくさんいて、羊毛の貿易で栄えた。豪商が集まり、壮麗豪華な屋敷を建てたという。
この屋敷も、玄関の柱にレバノンから運んだ杉がぜいたくに使われている。瓦屋根に木枠の窓は東洋的だが、外壁には色鮮やかな絵や彫刻。それが不思議にマッチしている。
「家並みだけじゃありません。村はブルガリア人にとって、特別の場所なんです」。愛国者の豪商たちはオスマン・トルコからの独立を目指し、革命のパトロンになった。1876年4月、革命の口火を切った「四月蜂起(ほうき)」はこの村で起こった。
蜂起は失敗に終わり、この屋敷の主(あるじ)だった英雄オスレコフも逮捕され、獄死したという。
それから百数十年。村の人々は英雄たちの屋敷を修復し、当時のままに残してきた。革命への思いがヨーグルトのように、脈々と受け継がれているからに違いない。
日本からの直行便はない。成田からウィーンなどを経由して首都ソフィアまで、乗り継ぎ時間を除けば14〜15時間ほど。ソフィアからコプリフシティツァまでは車で2時間。
村では、路上にテーブルを置き、色とりどりのハチミツやジャムを並べて売る風景があちこちで見られる=写真=。おすすめは村の森で採ったブルーベリーで作った自家製ジャム。値段は450円ぐらい。
日本にも本格的なブルガリア料理を味わえる店がある。東京・汐留の「カレッタ汐留」地下2階「ソフィア」((電)03・3571・0141)はブルガリアの伝統料理やヨーグルトの新しい食べ方を提案するレストラン。店内にはヨーグルトを使ったドリンクなどを楽しめるバーも設置。
ブルガリア政府観光局(クラブツーリズム内)=(電)03・5323・6670。