『ブルガリアで生まれた「キリル文字をポスターに」展』を鑑賞して

 

2009年は、日本とブルガリアが国交再開して50周年を迎えます。それを記念して印刷に関わる資料の蒐集、研究活動、展示などを行っている「印刷博物館」のP&Pギャラリーで、2009年1月29日から2月22日まで『ブルガリアで生まれた「キリル文字をポスターに」展』が開催されました。1月末にはブルガリアのパルヴァノフ大統領も訪日しました。『ブルガリアで生まれた「キリル文字をポスターに」展 』の公開に先立ち、1月28日に開催記念式典が行われ、来日中のパルヴァノフ大統領、トカジエフ文化副大臣からスピーチをいただいた後、オープニングのテープカットが盛大に行われたそうです。

キリル文字は現在、スラヴ系の諸言語を表記する文字として使用されています。キリル文字は、広く認められている説によると、修道士キュウリロスとメトディオス兄弟によって9世紀に創案されたグラゴル文字に起源をもつと考えられています。その後ブルガリアにおいて、より簡略化したキリル文字がつくられました。キリル文字は、ブルガリアで誕生した欧州で代表的なアルファベットの一つです。現在では、ラテン文字、ギリシャ文字に続き、EUにおける公用語表記の一つとなっています。

キリル文字は30文字からなりたちます。同展で展示されたポスターは、2007年にブルガリアの首都ソフィアで開催された第5回「ステージポスター国際トリエンナーレ」で20カ国30名のデザイナーに制作を依頼したものです。キリル文字を一人に一文字割り当て、デザイナーが与えられた一文字をテーマに表現した作品です。その展覧会はその後パリ、ニューヨークでも開催され、日本・ブルガリア国交再開50周年にあたる2009年に、東京で開催されることになったわけです。今年はまた「日本・ドナウ交流2009」にあたります。ドナウ川はブルガリアの国境を豊かに流れています。

それでは、「印刷博物館」で開催された『ブルガリアで生まれた「キリル文字をポスターに」展』を紹介していきます。まず、写真1は『ブルガリアで生まれた「キリル文字をポスターに」展』のポスターです。まさにポスター展のポスターです。右上の本の上に書かれた「КИРИЛИЦА」は「キリル文字」を意味します。

写真1:「キリル文字をポスターに」展のポスター

ポスター展のポスターの左下に「日本・ブルガリア国交再開50周年」のシンボルマークが描かれています。このシンボルマークの制作者は明記されていないのですが、これから紹介するポスターに匹敵するすばらしい作品ですので、拡大して写真2で紹介します。

写真2:日本・ブルガリア国交再開50周年シンボルマーク

БЪЛГАРИЯ(ブルガリア)と日本が握手しています。右手での握手ですね。そしてそれぞれの右手がブルガリアと日本の国旗を表しています。何とステキなシンボルマークでしょうか。この握手がかたいものであり、末永く続くことを願います。

それでは、いよいよキリル文字30種をデザインした30枚のポスターを写真3で紹介します。

写真3: キリル文字ポスター 一覧

 

左上の「А」から順番に右下の「Я」までキリル文字のアルファベットが30並んでいます。その一文字一文字を20カ国30名のデザイナーがポスターにデザインしました。「印刷博物館」の実際の展示では、部屋の入口から時計と反対回りに壁に一つ一つの作品が掲げられています。さあ、皆さんはどの文字どの作品が気に入りましたか?すべての作品を紹介するのは難しいので、ブルガリアのデザイナーの作品3つ、日本のデザイナーの作品2つ、そして私がおもしろいなと思ったものや気に入った作品を3つ紹介します。

ブルガリアのデザイナーの作品の1つ目は、写真4で紹介する「Ж」(ジャ)です。ボジダル・イコノモフの作品です。

写真4: 「Ж」の作品

〔ボジダル・イコノモフの略歴:1943年ソフィア生まれ。1970年ソフィア国立美術アカデミーポスター専攻卒業。主な個展歴に、ソフィア、プロヴディフ、ウィーン、ベルリン、アルジェ、マプート(モザンビーク)、ハラーレ(ジンバブエ)、ニューヨークなど。
 あの有名なレオナルド・ダビンチのモナリザが「Ж」の右側に描かれています。左側にいるのは誰だかわかりませんが、モナリザと同じような手の組み方をしています。二人の間や周辺に描かれている花はブルガリアを代表するバラの花でしょうか。二人の視線がともに鑑賞者を見ているような気がします。黄色の地(背景)に浮き上がるように「Ж」の文字が描かれています。

 ブルガリアのデザイナーの作品の2つ目は、写真5で紹介する「И」(イ)です。ボジダル・ヨノフの作品です。

写真5: 「И」の作品

 「И」の部分は赤を基調に裾の方にさまざまな色彩が織りなすモザイクのようなデザインです。黄色い太陽を背に受け、И」の影が文字の下に写っています。影が写っているように見える部分は、和風の紫の鹿の子模様にも似ています。

ブルガリアのデザイナーの作品の3つ目は、写真6で紹介する「Ь」(エル・マーラック)です。「Ь」(エル・マーラック)は軟音符(記号字)といって母音「О」(オ)の前にのみ使用されます。ペタル・チュチュリゴフの作品です。

写真6: 「Ь」の作品

 この「Ь」の作品は、ブルガリアの35歳以下の若いアーティスト達からの公募によるもので、60点を超える作品の中からペタル・チュチュリゴフのこの作品が選ばれました。この作品は私が最も気に入った作品の一つです。カタツムリのЬが何とも愛らしく青々とした草にたたずんでいます。平和で素朴な感じがします。ところで、私の家の近辺では最近カタツムリを見なくなりました。緑の多い場所に住んでいますが、ほんとうにカタツムリを見なくなったのです。子どもの頃、雨の日にカタツムリを見つけたのを懐かしく思い出しました。

 次に、日本のデザイナーの作品を紹介します。日本のデザイナーの作品の1つ目は、写真7で紹介する「Е」(エ)です。遠藤享(えんどう すすむ)の作品です。

写真7: 「Е」の作品

〔遠藤享の略歴:1933年山梨県甲府市生まれ。日本を代表するグラフィックデザイナーの一人。1959年武蔵野美術学校(現大学)デザイン科中退。1962年桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン研究科卒。版画や近年ではコンピュータでイメージ表現した静けさのある独特の作品で著名である。その作品はドイツ、ユーゴ、ブルガリア、フィンランド等の世界各国で賞を受けており、大英博物館、サンパウロ美術館を初め、多数の美術館にコレクションされている。〕
 
真ん中の白い小さなЕ」が存在感を主張し、左右にブレたような動きがあります。周りをその影が取り囲むように拡大していきます。モノクロの作品ですが、遠近感を感じます。

日本のデザイナーの作品の2つ目は、写真8で紹介する「М」(ム)です。福田繁雄(ふくだ しげお)の作品です。

写真8: 「М」の作品

福田繁雄の略歴:1932年2月4日 - 2009年1月11日。日本を代表するグラフィックデザイナーの一人。単純化された形態とトリックアートを融合させたシニカルなデザインが特徴とされる。「日本のエッシャー」とも称される。東京都出身。岩手県立福岡高等学校を経て東京芸術大学図案科卒業(1956年)。1981、東京芸術大学助教授。1997年、紫綬褒章受章。東京国立近代美術館運営委員、日本グラフィックデザイナー協会会長、東京芸術大学美術館評議委員、金沢美術工芸大学客員教授、中国清華大学美術デザイン学術顧問、中国西北工業大学・四川大学客員教授などを務める。
 3組の握手です。黒い上着の袖の下に白のワイシャツの袖が覗いています。3組の握手ですが、何人の人が握手しているのかわかりません。「М」の左上の握手は左手でしているようです。真ん中の谷のところと右上の握手は右手ですね。黒と白のコントラストが握手の強い絆を感じさせます。

 次に、私がおもしろいなと思ったものや気に入った作品を3つ紹介します。1つ目は、写真9で紹介する「Ш」(シュ)です。ブラジルのフェリペ・タボルダの作品です。

写真9: 「Ш」の作品

 黄色の地(背景)に黒の線で「Ш」を表しています。よく見ると何かおかしい。不思議です。そうです、これは「だまし絵」なのです。立体的に「Ш」が描かれているのですが、図と地(背景)の関係がわからなくなっています。このだまし絵は「不可能図形」というものです。

 おもしろいと思った作品の2つ目は、写真10で紹介する「Щ」(シトゥ)です。トルコのサヴァス・チェキッチの作品です。


写真10: 「Щ」の作品

 真ん中に小さな白抜きのЩ」が描かれています。その周りを微妙なズレを利用して黒の線が取り囲んでいます。吸い込まれそうなというか、目の回りそうな作品です。

 おもしろいとともに気に入った作品の3つ目は、写真11で紹介する「Ю」(ユー)です。「Ю」は日本語にはない母音です。ハンガリーのペーテル・ポーチの作品です。

写真11: 「Ю」の作品

ーテル・ポーチの略歴:1950年ハンガリー生まれ。ペーチ美術学校で金細工を学び、POSTER'Vを主宰、文化イベントのポスターを多数発表。1987年グループDOPPに参加。ブルノ、ワルシャワ等国際ビエンナーレで受賞多数。ハンガリー芸術家協会会員。〕
 この作品でまず目を引くのは手です。右手の薬指と親指を合わせている独特の手のポーズは「弥勒菩薩」の手です。私は京都の広隆寺の弥勒菩薩が個人的に一番好きですが、このポスターに描かれている手を見て、真っ先にその広隆寺の弥勒菩薩を思い浮かべました。そしてその上に小さな黒の文字で「you」とあります。これは英語のyouすなわち「あなた」です。「Ю」(ユー)と you (ユー)をかけたのでしょうか?この作品にはЮ」以外にたくさんのキリル文字が使われています。紫色でいろいろな方向を向いて描かれている文字がそうです。実は、「印刷博物館」でこの作品を目の前で見たとき、なぜこの作品が「Ю」のポスターなのかわからなかったのです。家に帰ってこの展覧会のリーフレットを開いてはじめて納得しました。この作品は実は90度回転させて見るのです。すなわち、写真12で紹介するようになります。

写真12: 「Ю」の作品を90度回転させる

 これではじめて「Ю」の文字になりました。実際のポスター作品は、80cm×50cmくらいの大きさだったでしょうか。そして弥勒菩薩の手と「you」の文字が見る方向(角度)を固定させてしまったので、その場でまさか90度回転して見るなどという発想が出てきませんでした。小さなリーフレットの中に描かれていて、たまたまそのリーフレットを別の角度から見て、はじめて気がついたのです。これはだまし絵ではないですが、すっかりだまされてしまいました。この作品も私が最も気に入った作品の一つです。

 他にも、ユニークですばらしい作品がたくさんありましたが、すべてを紹介しきれないので、これで私個人の好みで選択した作品の紹介を終わります。

 最後に、ブルガリア語のアルファベットとその名称・発音を、表1に示しておきます。ブルガリア語にも大文字と小文字があります。

表1:ブルガリア語のアルファベット・名称・発音

 

 

アルファベット

名称

発音

アルファベット

名称 

発音

А  а

П  п

Б  б

Р  р

В  в

С  с

Г  г

Т  т

トゥ

トゥ

Д  д

ドゥ

ドゥ

У  у

Е  е

Ф  ф

Ж  ж

ジュ

ジュ

Х  х

З  з

ス゛

ス゛

Ц  ц

И  и

Ч  ч

チュ

チュ

Й  й

イ・クラートコ

Ш  ш

シュ

シュ

К  к

Щ  щ

シトゥ

シトゥ

Л  л

Ъ  ъ

エル・ゴリャーム

ウとアの中間

М  м

Ь  ь

エル・マーラック

Н  н

Ю  ю

ユー

О  о

Я  я

ヤー

 「印刷博物館」はブルガリア語で「Музеят на печатарското изкуствоとなります。単語に分解して説明するとМузеятは「博物館」を、печатарскотоは「印刷」を、изкуствоは「芸術」をそれぞれ意味します。наこの場合「(所属)…の」の意味をもちます。名詞は男性名詞、女性名詞、中性名詞があり複数形にするときは、それぞれ異なった語末の変化をします。また形容詞も、男性/女性/中性名詞を形容するかによって、語末が異なります。また、英語にはない「後置冠詞形」なるものがあり、ブルガリア語を勉強するのはなかなか大変です。ブルガリア語を学んでみたいと思った方は、参考文献にもいくつかブルガリア語の入門書を挙げておきましたので、そちらを参照してください。

 最後に、日本でもっとキリル文字すなわちブルガリア語を学べる機会が増えるといいなと思います。私も、ブルガリア語を学び始めて一年ほどですが、今のところ独学です。ブルガリアでは日本語を学ぶ機会が増えてきているそうです。ソフィアにあるソフィア第18総合学校では、8年生(高校への準備課程)から日本語の授業があります。最近ではこの学校の小学生も日本語の授業が受けられるそうです。今年は日本・ブルガリア国交再開50周年です。これを機に、ブルガリアとキリル文字に関心をもつ人々が増えてくれることを願います。

文責:加藤修子 Шууко Като

参考文献

クランプトン,R.J.『ブルガリアの歴史』 創土社 2004
松永緑彌 『ブルガリア語辞典』 大学書林 1995
土岐啓子 『ブルガリア語会話練習帳』 大学書林
 1993

二宮由美 『まずはこれだけブルガリア語』 国際語学社 2006
阿部昇吉 『日本語-ブルガリア語 ブルガリア語-日本語単語集』 国際語学社 2006
吉田忠正;ダニエラ・ニコロバ監修 『体験取材!世界の国ぐに-33 ブルガリア』 ポプラ社 2008

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E4%BA%AB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E7%B9%81%E9%9B%84
http://trickart.seesaa.net/category/2834538-1.html


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