日本ブルガリア友好再開55周年記念
「ブルガリアをもっと知る会」



 

第4回:「美容と健康に一番、ブルガリアヨーグルトのお話し」
第3回:「ブルガリアの今、庶民の暮らしは?」
第2回:「頑 張 れ 琴 欧 洲 親 方!!」
第1回:「最近のブルガリアの政治・社会情勢について」

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第4回:「美容と健康に一番、ブルガリアヨーグルトのお話し」

20141021日(土)4回目の「ブルガリアをもっと知る会」、今回は「ブルガリアヨーグルトのお話し」。
“ブルガリアといえばヨーグルト!!”という発想が、日本の中に定着。

ある新聞の特集「世界のおやつ」で、日本で「一番有名な国」のお菓子!!なんて紹介すらしていたほど国名を有名にしたブルガリアヨーグルト。

ブルガリアをよく知るうえでヨーグルトの話は欠かせません。
ということで、()明治のブルガリア人スペシャリスト社員:ニコライ・バダレフさんにいろいろと語ってもらいました。


1350分、進行役ソフィアファミリー倉持の開会の言葉で始まりました。

4回目を迎えます今日は、ヨーグルトということですので、身近な問題というか身近な食料品でございますので、ぜひこの機会にご理解をいただければ、と思っております。
PowerPointを使ってバダレフさんから40分程度説明をしていただいた後、みなさんからいろいろご意見あるいは感想を聞かせていただこう、とこんなふうに思っております」

<マイクがパダレフさんに渡されます>

はじめまして。先ほどの紹介にありました()明治の海外製品事業部のパダレフと申します。
私は1973年に生まれたのですが、ちょうどその時に明治がブルガリアヨーグルトを発売したわけで、何か御縁があるのかなどと思っております。

さて、今日は、

・なぜヨーグルトがブルガリアの大事な宝物になりうるのかそれが一つ。
・そして、どうしてブルガリアが日本と出合ったかということ。
・それから()明治が現状市場拡大していくための道程

についてお話ししたいと思っています。

ヨーグルトの歴史から入ります。
なぜブルガリアがヨーグルトの発祥の地になったか、というと、ブルガリア民族は、トラキア人と原ブルガリア人とスラブ人で構成されたのですが、それぞれ酪農文化を持っていたのだけれど、特にトラキア人とブルガリア人が、非常に優れた城下町文明と高度な文化を持っていました。
ギリシャ人の歴史家が残した物語の中で、トラキア人が、ワインとヨーグルトを造る技術を持っていることが記されています。

それでは、初めて乳製品を作ったのはどこか?というと、おそらく古代ブルガリア人のルーツが遡れる古代のシリアとメソポタミヤだったのではないか、と言われています。
ヨーグルトは、古代騎馬民族人が、皮の袋に入れていた牛乳が発酵してできたものから始まります。
それが、トラキア人やブルガリア人に伝わり、西ヨーロッパの方に広がりました。

それは、偶然発見されたわけだけれど、現在の良質な乳酸菌カルチュアを育てるには、製品を管理するとか発酵技術を管理する、という知識と知見が必要で、誰にでも作れるものではありません。
ブルガリアでは、気候が関係すると思われるが、今は牛がメインでけれども、昔は、夏に干ばつがあったりして、乳牛が自然の中では育てにくかったこともあり、原乳は主に羊と山羊から搾乳されていました。
羊乳は、栄養価も高いし、固形物が多く、固まりやすい。

どういう風にヨーグルトを作ったかといいますと、今でもブルガリアでは自家製ヨーグルトがありますし、やはり、動物は、子供が生まれた時にお乳がたくさん出るわけで、春先から秋ごろまでが子供が生まれお乳がよく出ます。
そして、春になると最初に芽を出す植物トリャンという木をちょっとだけ羊の生乳の中に入れて乳酸菌をまぜて発酵させてヨーグルトを作ります。

ヨーグルトは、西ヨーロッパ食文化の中では初めて登場するのが16世紀頃ではないかと言われているが(当時のフランスルイ皇帝の胃痛をヨーグルトダイエットでトルコ人の医者が直した実話があり)19世紀になるとバルカン半島が育んだこの健康食品は西欧にも定着しはじめる。

その中で、ブルガリアヨーグルトに注目したのは、パスツール研究所で活躍して、そこでノーベル賞をもらったメチニコフ博士という人。
生物学研究者の彼がいろいろデータを集めたら、ブルガリアに住んでる人たちは非常に長生きしている、それはどうしんだろう、という観点から研究をしました。
そして、ブルガリアの人たちは、日常的にヨーグルトを食べていると気がついたわけで、ヨーグルトは、だから健康にいいということに気がついたわけです。
彼の活動を支えた研究者は、グリゴロフという博士なんですけれども、彼はブルガリアから来た若い優秀な研究員で、二人は、ヨーグルトの研究での先駆者になったわけです。

グリゴロフ博士は、そのあとブルガリアに帰って、ブルガリアの医療制度とか、に尽くしました。
当時、衛生環境とか、よくないブルガリアで、世の中の発展に尽くしました。
ヨーグルト研究は、そのあとブルガリアでできた総合科学研究所(アカデミー)の協力を得て、受け継がれるようになりました。

そして、研究が進み健康にいいという科学的な根拠を示すようになったわけだけれども、ひとことでいうと、ヨーグルトを100gぐらい毎日摂取していくと胃とか腸内のバリアがちゃんと健康な状態が保たれてきて、害のある物質が中に摂り込まれず、なおかつ悪玉菌を遣っ付ける乳酸菌が活性化されて病気になることを少なくする、ということが突き止められたわけです。

こうしてヨーグルトは整腸作用にも具体的に良いということが今の科学で証明されております。

で、日本人の食生活から申し上げますと、カルシュウムが伝統的に不足がちであり、ヨーグルトを摂取することにより、リンと作用してカルシュウムの摂取率がよくなる言われており、骨密度とか骨粗しょう症の予防になります。

()明治がブルガリアヨーグルトを作ることになった、ことに話しを移します。

大阪万博にブルガリアが出品したことにはじまります。
()明治の今の研究所を作った最高責任者神部氏と話しをする機会があったのですけども、当時、世界には40種類ぐらいの乳製品を扱う国がありまして、高度経済成長期には、休みが取れるとそれらの国へ出張に行き、発酵乳の試食を続けていました。
そして彼が、世界の中にある発酵乳をほとんど食べくらべた結果、さわやかで続けて食べても飽きがこないのはブルガリアプレーンヨーグルトである、と評価を出しました。

(写真)大阪万博でのジフコフ第1書記と娘さん。その娘さんが、仏教とかアジアの思想にも興味を持っていて、そのことがブルガリアと日本の関係がうまくいく理由の一つになった。天皇陛下もブルガリア館を訪問した。

それまで、日本のヨーグルトは寒天とかを添加したものが主流だったところだったので、“本物を提供しましょう”ということで、研究所を立ち上げ、ブルガリアからヨーグルト菌を輸入して許可を得ようとしました。
2年間の研究を経て、正当なブルガリアヨーグルトとして“ブルガリア”の名前で売り出す許可を本国より認められました。

認められるまで長期間要したことは、ブルガリア人がいかにヨーグルトを大事にしているか、ということを裏付けていることでもあります。

当時、交渉にあたったブルガリアの大使が、「あなた方は、明治乳業という1企業の1商品としての位置付けだが、ブルガリアが500年もの間トルコに支配されている下で、守り抜いて来たのは、宗教と言葉とあとは生活に密着したヨーグルトである。あなた方は、それを簡単に奪うつもりか」という話をしたようです。

結局、契約を結んでブルガリアから乳酸菌をもらって共同研究をして、 “明治ブルガリアヨーグルト”として、発売に結び付けました。

次に、日本で大きなブランドに育ってきて、皆さんに馴染みの深い食材になってきたか、ということに触れていきたい、と思います。

1973年発売直後は「こんなに酸っぱくてまずいもの、よく出したな」、と不評でまったく売れなかった。
くじけそうになった担当者に対して、当時の専務が、「いずれ本物はわかる。がんばれ!そんなに簡単にあきらめるなよ」とねぎらいの言葉を発した。

どうしようか、と皆で知恵を絞ったが、とにかく100ケースとか数えるほどしか売れなかった。
最初の10年は、少しずつ伸びてきた、というところで、浸透するまでには、本当に時間がかかった。
決して一夜でこのようにポピュラーなものになったわけではありません。

科学とか技術とか、柔軟な発想を持っている明治乳業は、日本人の嗜好に近づけるように工夫を粘り強く続けて来ました。
今のLB81乳酸菌は生き物ですから、酸味にしても、いろいろ工夫をして日本人の口に合うようにしてきたわけです。
ポイントはプレーンの特徴であるさわやかな酸味を殺さないで、味を日本人の好みに近づけるということ。

それらを少しずつ改良してきたということです。

そして、ヨーグルトが栄養的に注目されるようになってきたところで、爆発的に売れるようになりました。
もう一つは容器なのですが、工場から出荷してトラックに載せて運んでも、中身が崩れないような容器に仕上げていきました。

あと、中ふたをつけることによって、冷蔵庫に入れてちょっと食べてまた冷蔵庫に戻しても味が変わらないように、工夫しました。
これについては、他社にもまねされるようになったわけですが。

そして、先ほど申し上げたようにプレーンの特徴である爽やかさ飽きないこと、健康に良いことを消費者に一生懸命訴求したわけです。
栄養の面からも、毎日飲まなければいけないということで、飽きないということが大事なのです。
あと、ブルガリアがヨーグルトとの本場でしょ?だからブルガリアヨーグルトでしょ?ということで、マーケティングの戦略としても巧みに使ってきました。

今、健康にいいし味も整っていて、みなに受けられるようなものを発売すると、必ずまねをした品物を販売する業者が出てくる宿命。
それは仕方がないことですが、プレーンヨーグルトを作ったことによって、明治は、日本のヨーグルト市場を形成したということになります。

日本においては今後どんな取り組みをしていくか、ということにふれますが、
単なるデザートとしてだけではなく、健康にいいだけではなくて、日本のいろいろな食材と組み合わせて使うと、いろいろな食べ方がある、ということを皆さんに知ってもらう、ということ。

その一環として、2006年に、「ソフィア」というレストランを開いてヨーグルトメニューなども充実させていますし、年に3回程度、料理研究家とか招いてヨーグルトサロンというワークショップを開催しております。
それらによって、ヨーグルトは単なるデザートではなくていろいろな食材として、ブルガリアの中の食文化に近づけようとしております。
もし、時間が取れるようでしたらぜひ一度レストランにお運びいただいてヨーグルトを使ったブルガリア料理などを試してみてください。
日本人の口に合うような工夫もしております。

レストラン「ソフィア」は、東京駅の八重洲口から出た東京ブックセンターのすぐ近くにあります。
ぜひ一度足を運んでください。
ヨーグルトを使ったいろいろなレシピもできてますし、カロリーを抑えて元気な乳酸菌を体に取り込むことができるメニューをそろえています。

最後になりますが、()明治がブルガリアヨーグルト販売するようになったおかげで、日本とブルガリアの関係も役割を果たすようになったわけです。
(株)明治として、留学生派遣の支援とか、未来志向でこれからも色々な分野で支援していきたいと思っています。

以上で話を終わらせていただきますが、あとは質問の中で、さらに進めていきたいと思います。
皆さんの質問を楽しみにしております。


<司会から>

「ブルガリア出身のバダレフさんのブルガリアに対する思い、そして今のご自身の食生活の糧となっている明治のお話しもございました。
確かに、日本人の嗜好に合うヨーグルトづくりに大変苦労されたということを、私は今大変感じたところでありますが、ブルガリアへ行かれた方はご存じだと思いますが、向こうでヨーグルトを食べますとまず「うわー、スッパイ!」と感じるかと思いますが、本当にそう思います。
そうすると、日本のヨーグルトは偽物なのか、ということになりますが、そうではありません。
まさに、明治自身が一生懸命努力をして日本人の好みに合う乳酸菌を選んで、そして明治ヨーグルトを作ってきた、この努力その歴史に私たちは本当に尊敬の念をいだいております。

ということで、せっかくの機会ですから、この際少し、皆さんからご質問なりあるいは感想もぜひ聞かしていただきたいと思います。

今日は貴重なお話をありがとうございました。」

<質問1>

バダレフさんは日本に初めていらしたときに、コンビニとかに入って、日本のヨーグルトを食べた時どんな印象をもちましたか?
食べた時の印象を質問しています。

<回答>

私がソフィア大学3年生の時、19951996年に文部省の言語研修生として来たので、その時、ヨーグルトは日本にある、と聞いてたんですけれど、まさか、どの店に行ってもある、と思わなかったんで、非常にうれしかったです。
食べてみて、味が変わらない、下手するとこっちのほうがうまいな、と思った。
プレーンヨーグルトを作るのは、そんなに簡単なものではないので、明治がいろいろな製法特許も持っているし、世界一のレベルにあると思いました。
ほかの国へ、いくらでも技術指導に出ていけるレベルにある、と思います。
これから、ブルガリアと協力しながら、海外での販売拡大の可能性を持っている、と思います。

<質問2>

「日本では、いろいろな種類のヨーグルトが売られているが、ブルガリアではどうなのか?それから、ブルガリアでは農村のほうに行くと自家製のヨーグルトを作っている、と聞きますが、ほとんどの家で作っているのか、また、農村でも買って食べることもあるのか、割合はどのくらいになるのか、教えてください。

<回答>

いい質問ありがとうございます。
まず、ブルガリアについてなんですけれど、1990年代までは、全国どこへ行っても同じものしかなかった。社会主義の時ですね。
プレーンヨーグルト約400 グラムのものがほとんどだったんですね、店自体もそんなに普及していなかった。
量販店とかスーパーとか、が少しずつつくられてきて、そしてソフトヨーグルトとかフルーツヨーグルトですね。種類も増えてきました。
今で言うと、7割ぐらいがプレーンヨーグルトで、地方によって特徴的ものがつくられたり、フルーツヨーグルトだったり、最近では、ダイエットヨーグルトとか、オーガニックヨーグルトとか出てきています。これまでブルガリアになかったようなものも取り入れて作るようになっています。
その意味では日本と同じような広がりを見せています。
日本と違うところは、ヨーグルトがサラダの中に入っているとか、ブルガリア独特の食材として使われる、ということです。
たとえば揚げ豆腐みたいな感じのヨーグルトもあるし。

もう一つの質問なんですけれども、データはほとんどないかもしれませんが、例えば、私が生まれた時に、おばあちゃんが牛を飼っていて、いつも牛乳とかヨーグルトを食べさせてもらっていました。
そのように、田舎のほうに行くと、家で飼っているところはあるんですけれども、それから仲間から買って食べたりという家もあります。それを含めると自家製は大体3割ぐらいかな。
今でもブルガリア人は、直接農家から買った方が、何もいじられていない、何も加えられていない、というように本当に自然なもの、その方がいいという考えです。

そういう点では、いわゆる管理されていない、という点で、衛生的に保障されていないということはあるわけです。
日本はそういう点では逆に、メーカーがちゃんと管理している、という保証があります。

羊を飼ったりとかして、酪農家が直売できるようになったので、これからも、そういうスタイルは今後も併存していくことになると思います。
つまり、量販店とそのように農家が直売するというやり方が併存していくことになると思います。

<質問3>

ひつじとかヤギのヨーグルトを日本に輸出することは考えられるのですか?

<回答>

まず、羊とか、ヤギの生の生乳を作れるかどうかが問題だし、日本人は、ヤギとかの動物臭いものがあまり得意ではないと思いますね。
そして、羊は絞れる乳の量が少ないので、ちょっと難しいと思いますね。
ただし、牛乳から作るものでも、羊のように濃厚なものにする、ということはありうるかもしれない。
ブルガリアで、一番おいしいとされるのが、牛と羊を50%ずつで作ったものです。
ブルガリア人は、ヨーグルトというと羊のものが一番おいしい、といいます。
香ばしくて、味が濃くて、ナイフで切れるぐらい濃厚。そっち方が、高級、とされます。

<司会から>

日本の酪農政策の問題にかかわってきます。

いまヨーグルトを使って美容に利用する、という方法もあるんですよね?

<回答>

そうですね、コラーゲンを摂取するということはやっていますね。

また、肌がきれいになるともいわれてますね。またやけどした時、クリームとして使うこともありますし、ヨーグルトマスク、という方法もあります。私も山登りした時に、日焼けして肌に塗ったことがあるが、ちゃんと効きましたよ。

ヨーグルトエステとかもあります。

<司会から>

もう一人のいかがですか? ま、明治にバダレフさんがいつもいますから、これからも連絡して下されば、すぐ対応してくださると思います。

手前味噌でありますが、私どもソフィアファミリーは、小学校で留学生のブルガリアの留学生の国際理解授業をやっております。
その時、バダレフさんにお願いしていつも200余りの児童の分もヨーグルトを用意してもらって、車で届けてもらっています。
私どものソフィアファミリーの食の根源を握ってもらっている、ということが言えると思います。

どうですか? もう質問がなければ最後に一言。パダレフさんからお願いします。

<最後にバダレフ講師から>

このように、盛り上がった会を私は想像していませんでした。

ひとこと申し上げますが、
まず、明治ブルガリアヨーグルトが日本で成功したのは次の4要素がうまく噛み合ったからです:@正真正銘の本場の味と乳酸菌を使用している事、Aブルガリア国名の独占的な使用権を許諾され、信頼されていること、B明治の巧みなマーケティングと販売努力、C明治の高い研究開発技術、この四つの車輪がうまくかみ合っていないと全体のバランスが失われて、どこかでむりが出てくる、ことになります。
これからも、消費者のみなさんの支援をいただきながら、国内でのシャアを拡大していきたい、と思います。

本日は、ありがとうございました。

<司会からまとめ>

これで、皆さんはブルガリアヨーグルトの通で、ございます。
どうぞ、さまざまな皆さんに、紹介していただきたいと思います。
もちろん、ブルガリアヨーグルトは大変な勢いで売れておりますが、まだまだやっぱり地方とか農村部へ行きますと食べる機会のない人たちがたくさんおります。
ぜひ広めていただきたい、と思います。

それでは、ブルガリアヨーグルトは“明治”ということで、今日はどうもありがとうございました。

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       第3回:「ブルガリアの今、庶民の暮らしは?」     


2014年8月30日(土)、前回の琴欧洲親方トークショーと一変して、「ブルガリアの生活を知ろう!!」という勉強会。
参加者も、前回から続けて参加する人も見受けられる中、まさに、「ブルガリアをもっと知りたい!」という人たちが集まり、熱心に佐々木講師の熱弁に食い入り、予定の1時間半が、2時間にも延長しての熱い勉強会になりました。
また、新しく駐日ブルガリア大使館に赴任されたゲオルギ・コストフ商務参事官が、ゲストとして出席されました。

13時30分、会は、進行役のソフィアファミリー倉持の開会の言葉で始まりました。
続けて、佐々木講師の講演に入ります。
佐々木さんは、これまで、60回を超える訪ブルガリアを経験している、まさにブルガリアを知り尽くしている人。

まず、「現在のブルガリアを知る前に」、ということで、第2次世界大戦前後の状況解説から入りました。


第2次世界大戦前後のブルガリアの状況について

○ナチスドイツ枢軸国側として参戦しながら戦争協力は他の枢軸国より低いレベル

・戦争中、国内のユダヤ人を保護し、ドイツへの移送拒否
・1944年9月、ブルガリアはソ連に休戦を願い、2日後にはドイツに宣戦布告

○戦後、「ソ連の忠実なる長女」と呼ばれる程、ソ連と密接な衛星国としての国家形成

・ソ連の政策をそのままブルガリアに当てはめる非現実的な経済拡大政策
・一方で、西ドイツとの国交を成立するなど、現実的な一面も

○バランス感覚に富んだしたたかな政治、外交を行ってきた。(小国の知恵)

ブルガリアの政治状況と国民生活

@政治状況
  ・安定しない政権→左右にぶれる
  ・政党乱立
  ・汚職体質
A国民生活
  ・格差(都市部と地方→都市への集中化)
  ・人材の海外流出→ブルガリア最大の問題の一つ
  ・車の普及率は高い→増加する中古車市場
  ・黒海地方今山岳地方でのバカンス→ビーチリゾート、スキーリゾート→別荘
  ・各地で商業施設が続々と建設されている(ショッピングモールなど、外国資本)
  ・医療レベルは高い(徳田病院の誘致)
  ・エネルギー問題(電力は余っているか?→近隣諸国に輸出)

そして、日本との関係についても、解説していただきました。

続けて質問や意見・提案のコーナーに移ります。

最初に、
「賃金が5万円程度の人が多いのに、車を持っており、ちゃんとした生活が出来ているのは、なぜ?」
という質問。
(最近は、30万・40万の人も増えているそうだが。)
コストフ参事官からの答え。
「まあ、人間の知恵!」と、第一声。(真剣に耳を立てていた皆さんも、思わず大きな笑いに誘われます)
「農業との関係で、都会に住む人も農村の親せきから作物を送ってもらう、とか。農村に行けば、そこは、自給自足的にほとんどの野菜を有機栽培して、食べ物を自給している。農村には八百屋の店がない、というくらい」
「動物も自分で飼い、鶏肉或いはヤギの乳から作るヨーグルトとか、とにかく食べ物には困らない工夫をしている」
いずれにしても、「もしかしたら、奇跡の国か?」との声も出ました。


次に、人口減少に関する質問が出ました。
「人材の海外流出によるものなのか、日本のように、高齢化・少子化が原因なのか?」
また、
「ブルガリア独特のシレネチーズが手に入らない。日本との貿易で、入るようにならないのか?」

佐々木さんが答えます。
「やはり、少子高齢化と若い人材の海外流出が大きな原因。現在700万人強の人口がいずれ500万人になってしまうのではないか、ということもまことしやかに語られている。」
「白いシレネチーズ、僕も大好きだが、日本で一般的に好まれるかというと、どうか。別の黄色いカシカバルというチーズは、日本の輸入業者が興味を持ちつつある。いずれ日本に入るかもしれない。」
「ワインも、ブルガリアにはワイナリーがたくさん増えてきている。いずれ美味しいブルガリアワインが、日常的に日本で飲めるようになるかもしれない」
と。

進行の倉持から、
「ぜひ楽しみにしたい。具体的なチーズとかワインとか、もので交流を図る、というか食べ物で交流を図る、というのは、一番強い交流の仕事だろう、と思っている」とのコメント。


次に、若い参加者から、2つの質問。
「ブルガリアから、チーズとか、ローズオイル、ワインなどが入ってくるのは分かったが、日本からは、ものに限らず、サービス、日本食なども含めて、どのようなものがあるか?」
「コンピュータ関係に興味を持っている。ブルガリアは、IT産業では、どのような感じなのか知りたい?」

佐々木さんから、
「まず、ITの方から答えます。コンピュータそのものの発想は、ブルガリアから始まった。そういうわけで、ITに関しては大変進んでいる。特に、ソフトウエア関係に関しては、世界的に有名です。世界の数学コンクールでは、ブルガリアは何回も優勝している。そして、日本の銀行がカード決済のシステム作りをブルガリアへ委託した、という経緯もある。コストも比較的安い、ということもあると思う。ブルガリアにそういう技術者がたくさんいますよ、という宣伝も私たちはしていかなければいけない。」
日本からの輸出に関する質問について、
「ブルガリアはEUであるので、その基準で受け入れなければならない。まあ、肉類など直接輸出するのではなく、たとえば「とちおとめ」などの付加価値の高いいちごをブルガリアで生産して、日本へ戻すのではなく、近隣の国へ輸出する、などは可能。
いわゆる、農業技術はブルガリアから日本に求められていること。それから、黒海で取れるひらめが良質で、これの養殖技術を輸出するもくろみを持っている。ブルガリア側の資金としては、EUからの補助金を有効に活用して、日本から必要なサービス、技術などを輸入することが可能。」

倉持から、
「IT関係が非常に優秀であることは前々から聞かされている。それに加えて、医療技術も大変優れており、日本からの最先端設備を備えた徳洲会病院をソフィアに誘致している。」
「なお、宣伝であるが、私たちソフィアファミリーは、そこに桜を植えてきました」(拍手と笑い)


農村の生活について、どんなものか、改めて質問が出ました。
「先ほどのコストフ参事官の話にも有ったように、自己完結を原則にした自給自足の生活をしている人たちが多い。」
との答え。

近々旅行する人から、
「携帯電話の普及程度は?」という質問には、
「ほとんどのところで使えるはず。むしろ、日本より進んでいるかもしれない」

最後に、外語大学でブルガリア語を学んでいる女性から、
「和食に関する需要と供給はどのように推移してるのか。プロブディフで、おコメの生産が始まっている、と聞いているが、日本食が求められている、ということですか?」という質問。

「主に、寿司を中心にしたレストランが増えてきている。チェーン店で、メニュー化しているところがある。和食が健康にいい、ということが、ブルガリアの人たちに知られてきた。」
「お米は、もともと作っていたが、ブルガリアでは野菜の一種という位置付けで、生産している。今回のプロブディフでの生産に関しては、和食の普及に伴って、お米を集中的に作付けして、ルーマニアなど他国の日本料理店に輸出する、という目論見からである。事業として成功するのか、これからである。また、豚肉が中心の国であり、その飼料とにもなりうる」

進行の倉持から、
「若い人には、ぜひブルガリアへ行っていただいて、いろいろと体験をしていただいて、日本にそのブルガリア文化を導入していただきたい。そう思っております。」


質問が途切れ、
「予定の時間もまわったようです。あとなければ、これで閉会といたします。」

最後に倉持から、「一言だけ感想を言わせていただきたい」、として、
「ブルガリアは、まだまだ、いろいろな困難があると思います。また、困難があるがゆえに、非常に希望のある国ではないか、という風に思っております。」
「そういう意味で、私は、これからもブルガリア大好き人間となる、ということを申し上げたい、と思います。」
と。
そして、共催のソフィアクラブ中馬理事長の閉会の言葉で終わりました。


大変に熱のこもったいい会でした。
次回講師は、(株)明治のブルガリア人社員ニコライ・パダレフさんです。

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第2回:「頑 張 れ 琴 欧 洲 親 方!!」

2014年6月21日(土)13時40分、『日本人琴欧洲親方』として新たな道を歩み始めたわたしたちのヒーローを迎えて、ソフィアファミリー倉持の司会進行により、会は始まりました。

琴欧洲親方の紹介、ということで、引退までのその生い立ちをスライドで紹介し、その中で、一枚一枚に込められたその思いを親方に語ってもらいました。

スライドが終わったあと、今度は、参加者から質問をよせてもらい、答えてもらう質問コーナー。
たくさんの質問が出され、丁寧に、ユーモアを交えながら答えてくださっていました。


質問とお答えのコーナーへ

そして、参加者が気持ちを込めて書いた寄せ書きを、題字タイトルを記してくれた「書道の会」の先生に、教室で書道を習っている大貫さんに手渡していただきました。

全プログラムの最後は、全員が琴欧洲親方を囲んでの記念写真。
やはり、70人もの人が集まっての集合写真は、迫力があります。


写真、A4サイズにてお分けいたしますので、メールなどにてお申し付けください。
なお、掲載が不都合の方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。ブラインドをかけるなどの工夫をいたします。

すべて終了し、会館フロアでは、琴欧洲親方と並んで一緒にスナップを撮ろうとする参加者たちの列が続きました。


日刊スポーツニュースでも紹介

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第1回:「最近のブルガリアの政治・社会情勢について」
講師:ニコライ・マリン駐日ブルガリア全権公使

2014年4月19日、開会時間1時30分きっかりに、司会進行のソフィアファミリー倉持から「それでは、約束の時間になりましたので、前の方にお座りください。わたし倉持が司会進行を務めます」と開始。
「ブルガリアとの国交再開55年を記念して、もっとブルガリアを知り、もっとブルガリアを広めたい、という思いで、この会を企画した」ことを開会の言葉として皆さんに、お伝えました。
そして、第1回目の講師としてふさわしいニコライ・マリン全権公使のお話「最近のブルガリアについて」が始まりました。
以前に、書記官として、2回にわたり計8年間の在日経験があり、堪能な日本語で話します。
専門的なことばも含むような時は、東京外語大学大学院ブルガリア語専攻の菅井さんが通訳する形で進められます。


1989年に民主革命が起こり、ブルガリア人民共和国からブルガリア共和国に国名が変わったこと、から講演に入ります。


2001年にパルバノフ大統領。そして、2006年再選。


2009年にはボリゾフ氏が首相に。そして、2011年プレブネリエフ大統領が選出。
2004NATOに加盟し、2007年には歴史的なEUへの加盟

日常生活状況については、
ブルガリアの平均給与は、400ユーロ。
そして、物価は、というとヨーロッパと同じで、卵、牛乳などは日本よりも高い。
日本の消費税に類する付加価値税が20%と高額。

次は、ブルガリアの社会情勢、製品、国づくりの方向、生産内容について。

大きな変化は、2013年5月にボリゾフ政権に代わってオレシャルスキ政権が誕生したこと。
そして、主要な課題に着手。
ひとつは、若者の失業に対する対策プログラムの強化。
ふたつ目は、ビジネス環境の改善など。
…………………………
ブルガリアと日本の関係についてのお話
大変友好的な関係にあり、ブルガリアは、社会主義時代から親日的な国であること。
そして今年は、ブルガリアと日本の国交再開55周年の節目であること。
年間1万人の観光客がブルガリアへ来ている。
2009年までに日本から95億円の支援も受けている。
ブルガリアの望みは、日本の最先端製造技術の誘致したい、ということ。
いろいろな産業で、日本からの導入を図ってきた。
一方で、文化交流は盛んに行ってきた。
(そして、まとめ)
ブルガリアは、経済的に強くない国で経済交流は、なかなか進まないところがあるが、文化面での交流がより活発化していけば幸いである。
(文化面では、駐ブルガリア日本大使館が1990年より毎年秋に開催してきた日本文化月間が、25周年目となる節目の年でもあります))

質問の時間に入ります。
参加者から、「政権批判が激しくデモがあり、大学でもソフィア大学が学生に占拠された、と聞いたが、今はどうなっているか?」
それに対しては、マリン公使が答えます。
「政権が何回か変わってきたが、国民は、そのいずれにもがっかりさせられた、ということ。とりわけ、ボリゾフ政権にはがっかりしているようだ。当初、過激な方針を持ち出して政権に就いたが、最後には、非民主的な態度を取ったりしたので、それも支持を失う要因になった。」
「しかし、実際的にいい結果になったのは、人々が、蜂起することによって政権側に圧力をかけることができるんだ、と確信するようになったこと」
と答えを収めました。

そして、参加者から続けて、
書籍のこと、ダンスのこと、コンピュータ分野や車市場の現状とさまざまな質問が出され、マリン公使は、誠実に丁寧に答えられました。

そして、最後にソフィアクラブ理事長の中馬氏から主催者を代表してのあいさつがあり、第1回目の「ブルガリアをもっと知る会」が閉会。
司会の方から、次回ゲスト琴欧洲親方の第2回への参加・周りの人たちへの呼びかけ依頼も添えられました。

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