ブルガリアンローズを訪ねて


 2010年9月、夏休みを利用して、大阪府立大学海外農業研究会のメンバー4名が、ローズオイルの調査研究にブルガリアを旅してきました。
 そして、その紀行文を寄せてくれましたので紹介いたします。
 長期間の旅では、残念ながら6月のバラの開花期に行くことは出来ませんでしたが、ブルガリアの人間国宝的鼻の持ち主:国立バラ研究所長ネノフさんからのヒヤリングをはじめとして、カザンラクでの村長さん宅ホームステイ、先々の宿での世界中から集まったバックパッカー達との交歓、世界遺産「リラの僧院」での宿泊など、若者ならではのさまざまな体験をされてきました。
 それらを写真を交えて掲載させていただきます。

ブルガリアを旅して・・・ 年 小西ちぐさ
 紀 行 文 谷口 菜摘
憧れの国ブルガリア 〜私の初海外〜   年生 山下 佳奈
 ブルガリア感想文 加藤 遼


※これらの調査研究旅行に関連して、トドロフ駐日ブルガリア大使の講演をいただき、大阪府立大学海外農業研究会と我がソフィアファミリーの共催で「大阪府立大学:ブルガリア友好のつどい」を実施いたしました。それらの模様を、目次「ソフィアファミリーの交流」「大阪府立大学」のページで紹介しておりますので、ぜひご覧ください。

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ブルガリアを旅して・・・

大阪府立大学3年 小西ちぐさ

2010年の春、ブルガリアの旅のリーダーになった私は、ドキドキと不安でいっぱいだった。英語が通じにくく、アルファベットではない暗号のようなキリル文字の看板・・・想像しただけで好奇心よりも不安のほうが勝っていた。しかしメンバーは渡航経験のない後輩ばかり。「私がしっかりリードしなくちゃ」と自分に言い聞かせ、ブルガリアについて調べることにした。調べていくと、ヨーグルトだけじゃない魅力あふれるブルガリアにすっかり夢中になり、どうせ行くなら満喫したい!とブルガリア一周プランを考えた。

お金はないけれど時間はたっぷりある学生時代にぴったりの旅行を、プチ話を織り込みながら紹介します♪


●トルコ・イスタンブール→ブルガリアへ入国

 ブルガリアと隣接しているトルコから夜の間に国境を越えようと、私たちは寝台車に乗り込んでいた。国境を越えるのが初体験の私は終始ワクワクしていた。3時間ほど寝て、起こされたのは深夜3時。そこは紛れもなくトルコとブルガリアの国境だった。今まで英語とトルコ語が飛び交っていたのに、周りの人が聞き慣れないブルガリア語をしゃべっている。国境を越える瞬間は、想像していたよりもアッサリしていた。いよいよ旅の本番、ブルガリアへ!!


●ブルガリア・カザンラクにてホームステイ

 ブルガリアで最初に訪れた町は、バラの生産地で有名なカザンラク。その町のイズボルボという村で、メンバー4人は、村長さん宅に2人・エレナさんという素敵なおばちゃま宅に2人、分かれてステイした。

 エレナさんは目がキラキラした人で、昔はブルガリアでシンガーとして活躍していたそうだ。エレナさんはかつてジャイカ職員に習った日本語で「こんにちは」と、とびっきりな笑顔で私を迎えてくれた。

 チーズがあまり得意でない私が、ステイ中に毎日エレナさんのチーズ入りの手料理を食べていると、いつの間にか大好きになっていた。

 カザンラクでは、バラの蒸留所を見学したり、バラ博物館に行き現地でしか分からないことを学んだ。お昼には大きな湖のほとりで手作りサンドイッチを食べたり・・・夜にはこぼれ落ちるくらいの満天の星空を見たり・・・牛の行列が散歩から帰ってくるのを目撃したり(笑)たった2日間という短い時間だったけれど、ブルガリアンライフを満喫できた。

●カザンラクからヴェリコ・タルノヴォへ

 「息子の嫁に来て」と口説かれた村長さんと、手料理のサラダを教えてくれたエレナさんとお別れをした私は、バスで北の古都市ヴェリコ・タルノヴォへ向かった。

石畳が複雑に入り組んだ坂道を上っていくと、私たちが泊まるホステルが見えた。ホステルからの景色には、観光名所のお城がばっちり見えた。世界中から集まったバックパッカー達と、お酒を飲みながらトランプをしたり拙い英語で自分たちの国のことや将来の夢などを語ったことは、今しか経験できないことだなぁと改めて思う。

●ヴェリコ・タルノヴォから首都のソフィアへ

 ブルガリアの移動は鉄道よりもバスの方が断然便利だと分かった私は、これから先の移動手段をすべてバスに変更することにした。首都ソフィアに向かうバスの窓の外には、農業国ならではののどかな田園地帯が広がっていた。

ソフィアについてまず驚いたのは、車社会だったことである。どのみちも渋滞、渋滞渋滞・・・どこの国も都会は一緒なのだと思った瞬間だった。私たちは、トラムの乗り方や安いスーパーの場所をホステルの人に聞いて、早速町に繰り出した。その夜は、自分たちで晩ご飯を作って食べた。メニューはスパゲッティとエレナさんに教えてもらったフレッシュチーズたっぷりの“チョップスカ・サラダ。お腹いっぱいで満足気な顔の後輩たちを見ると、旅も順調に進んでいるなぁと嬉しくなった。

翌日、国立バラ研究所を訪ね、ブルガリアン・ローズオイルの品質を嗅ぎ分けることのできる所長のネノフさんというおじいさんに会った。通訳さんに訳してもらいながらインタビューを行い、どういう仕組みで作られているのか、品質ナンバー1のブルガリアローズの秘密などを聞くことができた。

  ●ソフィアからリラの僧院へ

  ブルガリア正教の総本山であるリラの僧院。日本にいるときから、必ず行こうと決めていた。

バスで山道を数時間走ったら、急に開かれた場所に荘厳な門とともにリラの僧院が現れた。ツアーの観光客は長くても2時間で帰ってしまうこの場所に私たちは、一泊した。本堂を囲むようにある4階建てには、当時300400人の僧侶が泊まれるようになっていた。現在は、希望すればその部屋に宿泊できるのだ。高い山に囲まれたリラの僧院の夜更けは早く、山に沈む夕日を見送ったかと思うとすぐに星が瞬き始めた。邪魔な光が一切なく空気が澄んでいるから、より一層キレイに見えた星空は一生忘れないだろう。

●リラの僧院からプロブディフへ

  旅の折り返し地点でついにやってしまった!リラ発のバスをうっかり1時間間違ってしまったのだ。次のバスは6時間後・・・ショックで言葉を無くした私に、メンバーは「世界遺産に長く居られるし、絵かいときます」「大丈夫ですよ、なんとかなります」と前向きに励ましてくれた。

2の都市、プロブディフについたのは夜の10時頃。あたりは真っ暗で道もわかりにくいので、タクシーを使ってホステルまで移動した。

  翌日はショッピングや観光の日にして、ローマ時代の円形劇場跡や水族館もどき、おみやげ屋さんに立ち寄って、日本の友人へのおみやげを買った。それと同時にもうすぐ日本に帰ると思うと、「もっとブルガリアにいたい。まだ帰りたくない」と考えていた。


私は大学生になってから、中国の内モンゴル、ニュージーランド、サモア、トンガ、トルコと旅をしてきた。どの国も、数え切れない思い出がある。そんな私にとってブルガリアは、人・自然・文化・食べ物すべてに魅了された。そして、最初は自分たちだけで旅をするという不安があったが、互いに協力し合い乗り越えてきた。不安に立ち向かいチャレンジできた経験は、私にとって大きな自信となった。そんな新しい自分に出会えたブルガリアにもう一度訪れてみたいと思う。

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紀  行  文

谷口 菜摘

鉄道でブルガリアに入ったとき、とても驚いたのが日本には見られないほどの自然の絶景です。
そして、カザンラクで牛や馬が使いに導かれて道を群れで歩いているのを見たときはまるで絵本の世界に迷い込んだかのようでした。
料理もとてもおいしく日本人の口に合い、日本でも知名度の高いヨーグルトも濃厚で本当においしかったです。中でも、ブルガリアではどこにでもあるアイリャンというヨーグルトドリンクには、はまってしまってどこに行ってもずっと飲んでいました。
人々もとても温かく、とても大好きな国になりました。
もう1度絶対行きたいと思っています。






付記(ソフィアファミリー事務局)

文中で紹介されている「アイリャン」について、明治乳業よりレシピが紹介されていますので転載します。
作成方法は大変簡単です。
谷口さんがはまり、山下さんが忘れられないという飲み物、お試しください。

塩味ヨーグルトドリンク(アイリャン)

塩スイーツの次は塩味ドリンク!?
塩味が意外にヨーグルト本来の甘みを引き出してくれます。
カレーライスやこってり料理との相性も抜群。
後味すっきりだから夏にぴったり。

調理時間…10分
カロリー…94kcal(1人分)
材料(4人分)
明治ブルガリアヨーグルトLB81プレーン 300g
水                        300ml
塩                        小さじ1
※お好みでレモン汁 小さじ1
※塩の量も、好みで加減してください。


作り方

@ミキサーに、プレーンヨーグルト、水、塩、お好みでレモン汁を入れ、撹拌(かくはん)します。

Aグラスに、@を注ぎます。(ご賞味のほどを!)

※ミキサーが用意できない方は、ボールに材料を入れてていねいに撹拌しても、同じように出来上がります。

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憧れの国ブルガリア 〜私の初海外〜

大阪府立大学 海外農業研究会

年生 山下 佳奈

 

私の属する部活動、海外農業研究会では毎年、興味ある研修テーマをもって海外に出かけ、旅をします。そんな活動の中、私が選んだのは、ブルガリアとその特産ブルガリアンローズオイルでした。

海外へ旅行をするならブルガリア。そんな考えが私の頭のどこかに何年も前からありました。特にどこが見たいとか行ってみたいとかというようなことがあったわけではありません。ただその、のどかで広大な雰囲気に憧れていました。そして私は、そんな大地で採られるローズオイルのアロマに一気に惹かれ、ローズオイル精製までを現地カザンラクにて研修させていただくことになりました。

 この研修では蒸留所・博物館で、働いている人からしか聞けないお話を伺うことができました。蒸留釜がオイルの質を大きく左右すること、釜はハスコボで作られ持ってきていること、この土地の気候、立地が最高級のオイルを作る最大のエッセンスであるということ。それに加え、もう稼働していなくなってから60年経つ旧蒸留釜からは、今もまだ蒸留の名残か、ローズのアロマが香っていました。国立バラ研究所長から伺った「ブルガリアンローズは他よりも香りが長持ちする所が一番の特徴なんだ」という言葉を自分の身体で実感した瞬間でした。五感で閑散期の静けさとオイル採油の歴史を感じ、ブルガリアンローズで溢れる最盛期へ想いをはせた研修となりました。

 さらに、この研修と同じ日程でホームステイを行いました。憧れのホームステイでした。駅で待ち合わせをし、車で連れて行ってもらった先はカザンラクの郊外。田舎でした。村の中央に湧く水場に集う人々、村民御用達の小さなパン屋さん、道を堂々と歩くニワトリたちや日が暮れるとどこからか帰ってくる牛たち。そこで見る全てが日本では見られなくなったような光景で、非常に癒されるものばかりでした。その日の食卓に並べられたショプスカサラダの野菜もデザートのスイカもブドウも全て家の前の畑から採れたもので、美味しくすぎて笑顔が絶えませんでした。ラキアやワインを飲み交わしながら通訳さんを介して熱く交わした学問や農業、政治の話は少し不思議な感じでした。次の日は打って変わって宴会のようにみんなでわいわいご飯を食べお酒を注ぎあい、笑顔で歌を歌ったり、ブルガリア語を教えてもらったりと、まだ出会ってから1日しかたたないとは感じさせないくらい親しくしてくれました。その優しさは本当に温かかったです。

行くまではそれほど感じていなかった「言葉が通じない」という不安はホストファミリーと対面して初めて感じました。お互い必死で伝えようとしているのに伝わらないのがもどかしく、夕食の席でホストマザーに言われた「世界中に言葉が一つだったらいいのに」という言葉には心をうたれ、その現実を少し悲しくも感じました。しかし、分かりあえないことは絶対にないともこの渡航で感じました。笑顔や食卓を囲んで美味しいものをわいわい言って食べるのは各国共通ですし、単語を発したり指したりするだけで分かりあえることもありました。自力でお互い何を言いたいのか分かった瞬間、手を取って喜びあいました。

ホストマザーと出会って言葉も名前も分からぬままに出してもらった自家製アイリャンの味は忘れられません。
 またいつか、今度はバラの時期に訪ねようと思います。


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ブルガリア感想文

大阪府立大学   加藤 遼

―カザンラク

カザンラクに到着したときホームステイ先との約束の時間にはだいぶ余裕があった。皆は昼飯を買いに行き私は一人駅で荷物番をすることにした。駅の写真を撮ったり、働いている人をのんびり眺めたりしているうちに皆が戻ってきた。昼飯はケバブチェとパンとフルーツで、どれもとてもおいしかった。少しのんびりしていると約束の時間が来て、村へ送ってくれる車が駅にやってきた。私たちは運転手の方と簡単に挨拶をし、いよいよホームステイさせてもらうイズボルヴォ村へ向かった。運転手は長身で恰幅もよく笑顔が人のよさを表していた。英語が伝わらないなりにボディラングイッジでいろいろ話をした。村に近づくにつれ景色は緑にあふれてきた。道の途中馬車とすれ違って、本物をはじめて見た私は少し気分が高揚し、また、見渡す一面の草原にさまざまな動物を見て全く退屈しない道のりだった。退屈しない要因のもう一つに運転手さんの運転の荒っぽさもあった。直線になると一気に加速したり、対向車が無いと車線を無視して真ん中を走ったり、運転手いわくブルガリアの人はみんなこんな感じだそうだ。

いよいよ村に到着し、エレナさんという方の家にお邪魔した。エレナさんはブロンドのショートカットで、ふくよかな体格をしていていかにもやさしいおばさんという感じだった。一緒に門を通ると犬のボビーがすごく元気に吼えて迎えてくれた。エレナさんの家は二階建てで結構大きく、庭が広かった。庭には様々な果物や野菜が育っていて、ハンモックもあった。早速二階の部屋に案内してくれた。部屋は結構広く、不思議な暖かさを感じた。ベッドはソファーだったが、キッチンやシャワールームまで付いていた。重たい荷物を部屋に置き簡単にトイレやお風呂の説明を受け、そのあと一階でエレナさんが

料理を振舞ってくれるようだった。ちぐささんは盛り付けなどを手伝い、私はその写真を撮ったりしてわきあいあいと過ごした。喋るといってもほとんどがボディラングイッジなのだが、いろいろ喋るうちにエレナさんのこともわかってきた。エレナさんは昔歌手だったらしい。そして運転手が実は村長だったことを知り驚いた。お喋りしているうちに料理は完成し、メニューは庭で採ってきた野菜などを使ったショップスカサラダや豆スープなどのブルガリアの伝統料理で、どれもおいしいものばかりだった。食べ始めたぐらいの時間に、研修を含めこの二日間お世話になる通訳のデニスラヴァさんが合流した。食事中エレナさんといろいろ楽しそうに喋っていて、やはりエレナさんは面白い人物なのだろうなと考えながらのんびり食事した。

食事が終わると村長が村を案内してくれた。村長の家に行った二人はもうすでに散歩してきたらしく、いろいろ通訳さんに加えて二人の話を聞きながら、牛を見たり羊を見たりしてのんびり過ごした。その日の晩御飯もエレナさんの手料理だった。スープやパン、キョフテ、すごく濃厚なチーズなどの伝統料理で、エレナさんの料理はやっぱりおいしい。料理を食べながらラキヤというきつめのお酒を飲んで楽しく食事をした。夜も更けるとエレナさんの家から少し離れた光の無いところで星を眺めた。流れ星を二つほど見てなかなか上気分でその日は眠りについた。


〜二日目〜

起こされた時間はエレナさんに起きるように言われていた時間ギリギリだった。今日はいよいよ研修だなと考えながらせっせと用意を済ませて降りていくと、今日は天気もいいし朝食は庭で食べるようだ。庭で食べていると、家の中には入れない猫が足元に擦り寄ってきてくれて、また朝日にいきいきとした緑があふれていて素敵な雰囲気だった。朝ごはんはショップスカサラダにスープなどで日本にいた頃とは大きく違うものだと今更ながら思ったが、こんなにおいしい朝食が食べられることだけでもすごい価値が有る気がした。やがて食事を終えて村長の車を待った。

車が来た。まずはバラの蒸留所の見学だ。私は写真を撮ることをメインにすることにして研修風景を撮っていた。蒸留所には大きな釜が有り、これでバラやラベンダーの蒸留をするようだ。また、昔使っていた釜も有り、施設の歴代責任者なのかはわからないが多くの人の写真が額に入って壁にかけてあった。ブルガリア中のバラがカザンラクに集められて蒸留されていると思うと、割と普通のことなのかもしれないがなんだか不思議な気分だった。蒸留所の裏庭にはバラとラベンダーが栽培されていたが、九月には咲いていなくて一面緑だった。そしてある程度質問も終わり調査は終わった。

今晩の食事は皆でエレナさんの家で食べることになっていたようで、村長の家に行ったはずの仲間も来た。エレナさんの家の話や村長の家の話などをしたり、食事の用意を手伝ったりして楽しく過ごしていると、どうやらこの日はラマダンが終わる日らしく、二百層の生地を砂糖につけたものなどのまた違った料理も有った。ブルガリアはイスラム圏であるトルコに接していて関わりも深いためイスラム教の人も多いようだ。その日はホームステイ最後の晩餐だったため皆でそろって食事をすることにしたようで、ラキヤを飲みながらショップスカサラダなどを食べてとってもすてきな時を過ごした。食事もあらかた終え、私たちは日本から持ってきたお土産をエレナさんと村長に渡した。エレナさんは一度日本人をホームステイで迎えたことが有り、家にその人に貰ったのであろう物が飾られていたため少しかぶってないか不安だったがとっても喜んでくれた。食事が終わると部屋に戻ってその日はぐっすり眠った。


〜三日目〜

次の日の朝も早かった。なんせ昨日はギリギリに起きたものだから今日は余裕をもって起きた。今日も庭でエレナさんに朝食を振舞ってもらい、この料理を食べることができるのもこれが最後なのかなと考えると切ない気持ちがしたが、お別れは笑顔でするものだと思い平静を装って食べた。洗濯物はまだ生乾きだったが仕方が無いので荷物に突っ込み、村長の車を待った。

村長の車が来ていよいよエレナさんとお別れの時だった。エレナさんの瞳に涙がうっすら溜まっているようにみえて、つられて涙が出そうになったが、堪えるとも無く堪えて笑ってお別れした。次の目的地はヴェリコ・タルノヴォという都市で、村長が車でそこまでのバスの便が良い所まで送ってくれた。

いよいよ村長ともお別れだった。ヴェリコ・タルノヴォ行きのバスのチケットまで取ってくれて、バスを待つ間にまだ残っていたお土産を渡したりしてわきあいあいと、なおかつ惜しみつつ時間は過ぎた。バスに乗る前に笑顔で別れの挨拶をした。バスの中で村長はこんな人物だったなぁとか、ぜひもう一度イズボルヴォ村を訪れたいという話をした。

 


―リラの僧院

そこは山に囲まれていて僧院のある場所自体の標高も高かった。ガイドブックなどで一応読んではいたのだが、想像以上に素敵なところで驚いた。


ひとまず重い荷物を降ろし、買った食糧を食べて少し落ち着くと僧院を見て回ることにした。ソフィアで見た一番大きな教会ほどではなかったがかなり大きく、外の壁や天井にも一面にフレスコ画が描かれていた。僧院の周囲を囲んでいる建物にもところどころ歴史や宗教を感じさせるものが描かれていたりしたのでいろいろ探検してみた。廊下を歩いたりしているだけでも独特な空気感や景色に感じ入るものがあった。

ある程度皆で見て回ったあと自然と各々が自由行動をするようになったので、とりあえず周囲を散策してみることにした。どうやらハイキングコ

ースになっているようで、さすがに山登りをする気はなかったがどんな道なのか少し興味もあったのできりのいいところまで登ってみることにした。登り始めるとすぐに墓のよう
なものがあり、その先に細い道があった。もともと登る気もなかったのでその脇道を進むことにした。進んで行くといよいよ道がないと思われるところまで来たので僧院の方へ向かって降りていった。

今度は川沿いに歩いていくことにした。川の水は綺麗で澄んでいた。のんびりしたりしながら川沿いに下っていくとまた墓が見えた。墓は古い屋敷のような建物の周囲にたくさんあり一応観光スポットのようだが、屋敷は特に手入れされているようには見え無かった。一人で来たときは見当もつかなかったが、後でおそらく僧院で働いている人の墓なのだろうと話していた。

翌朝は僧院の人たちに是非見に来てくださいと言われた僧院の儀式のようなものを見に行った。僧院の人がなにか唱えながら僧院内を練り歩き、荘厳な雰囲気の儀式だった。ゆっくり堪能できて楽しかったと思いながらソフィアに向かうバスに乗った。

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