プロヴディフ孤児院ボランティア体験記

2012812日〜825

慶応義塾大学経済学部3年 徳安悠衣

<ボランティアに参加したいと思った動機>

 私は812日から2週間、ブルガリアのプロヴディフで孤児院ボランティアに参加しました。ボランティアに参加したのには主に3つの動機があります。@東日本大震災の復興支援ボランティアに参加した経験から、長期ボランティアに参加したいと思ったこと、A教職課程を履修しているため、子どもと関わるボランティアがしたいと思ったこと、B外国の人と英語を使ってコミュニケーションをとりたいと思ったことです。ブルガリアについての知識は殆どなかった私ですが、インターネットで偶然見つけたブルガリアの孤児院ボランティアは私の希望を実現できる活動でした。



<活動内容>

活動内容は@子どもたちと遊ぶ、A食事の準備、B生活環境の整備をメインに行いました。私がボランティアに参加した812日〜826日は夏休み期間中であったため、子どもたちと一日中孤児院で生活していました。

ボランティア期間は2週間で、世界各国からインターネットのボランティアのサイトで応募した30歳までの若者が参加します。私はブルガリア人、イギリス人、フランス人、中国人の仲間と一緒に活動しました。ブルガリアでは英語が通じないため、ブルガリア人のキャンプリーダーがブルガリア語の通訳を行っていました。

2週間、孤児院の図書室でイギリス人2人、日本人の友人1人とともに4人の相部屋で生活をしました。シャワー・トイレは子供たちと共同で、食事は3食子どもたちと同じものを食べました。

ボランティアには自分の国の文化を伝える・子供たちに生活の知恵を与えることなどが期待されています。孤児院は資金が不足しているため、子どもたちが欲しくなってしまうような高価な物は見せてはいけないそうです。


<孤児院と子どもたちについて>

●どんな子どもが生活している?

 孤児院には両親がいない子ども、事情により家族と生活できない子ども、虐待などのため保護された子どもが生活しています。18歳まで孤児院で生活することができますが、途中で里親に引き取られたり、親族に引き取られたりする場合もあるそうです。身体や知能の発達に障害を持っている子どもも多く、さまざまなバックグラウンドを持つ子どもたちが共同生活を送っている、という印象でした。

 普段は学校に通っていて、私が参加した期間は夏休み中とのことでした。

 年齢、障害の程度によって部屋の階が分類されており、生活もフロアごとに異なります。私は比較的障害の重い3階の子どもたちを担当しました。

●どんな生活をしている?

 食事は小さい子どもでも食べられるような、柔らかいリゾットや豆のスープなどを食べています。十分なお金がないため、ごはんは形の悪いパンを近所のパン屋さんから安く購入することや、賞味期限切れのヨーグルトやアップルパイを分けてもらうことで節約していました。

 しかし、賞味期限は2週間以上過ぎていることもあり、子供たちの発育に問題があるのでは?と気がかりでした。私は、実際に賞味期限が3週間前のヨーグルトを飲んでしまい、お腹を壊してしまいました。

 一人あたりが食べることのできる食事の量が決まっていて、おかわりをすることはできません。そのため、子供たちはみな栄養失調体型でした。しかし、ティーンエイジャーになるとタバコを吸い始め、体型もふくよかになってきます。これは中学生になるとお菓子を自由に購入することができるためだと思います。

 子どもたちは共同のシャワー・トイレを使用し、部屋も相部屋でした。服は中古の服を着回ししています。中古のおもちゃが届くと、取り合いになるほど大喜びしていました。


<プロヴディフについて>

プロヴディフはソフィアに次いでブルガリアで第2番目に大きい都市です。起源4000年まで辿ることのできる歴史のある都市で、街の中心に円形劇場などの遺跡が残っています。古い町並みが残る旧市街と、新市街があります。周りを6つの丘に囲まれており、夜は丘の上でお酒を飲んで語らいました。丘の上から見る夕日は格別です。

 円形競技場  円形劇場  プロヴディフの丘  旧市街


<ボランティアの一日>

7時半  起床 
8時半  子どもたちとTVルームで遊ぶ 
日本の遊びとして折り紙、けん玉、だるま落としを教えました。子どもたちは新しいものに何でも興味を示すため、携帯電話やカメラなどは子どもたちの前に出さないように気をつけました。
9  朝食の準備、子どもたちの朝食 
9時半  子どもたちの朝食の後片付け、朝食
食事は子どもたちの後に食べるため、時間が遅めでした。 
10  校庭で子どもたちと遊ぶ
鬼ごっこ、バレーボール、縄跳び、バスケットボールなどをして遊びました。私が担当した3階の子どもたちは、安全のため孤児院の外に出ることができないため、唯一屋外に出ることができるこの時間を楽しみにしています。週二回ボランティアでテニスのコーチがテニスを教えていました。
10
歳を過ぎても抱っこやおんぶなどを要求してくる子どもが多く、愛情を欲しているように感じたのが印象的でした。
12時半  昼食 
13  昼寝時間
日中は暑く連日35度を超えるため、午後の一番暑い時間は昼寝の時間になっていました。ボランティアはその間プロヴディフの街中を散策して観光の時間に充てていました。 
17  校庭で子どもたちと遊ぶ
夕方の涼しくなる時間から再び外で遊びました。日没は8時前後であったため、19時半ごろまで遊んでいました。 
20  夕食 
21  プロヴディフの街へ外出 
23  帰宅・就寝 


<英語が通じない国で…>

 孤児院ボランティアでは日本語は通じず、各国のボランティア同時が意思疎通を図るためには、英語は必須条件です。ブルガリア語を話す子供たち、先生とのコミュニケーシン
をとる際にはボディーランゲージが重要でした。加えて、片言のブルガリア語を覚えて子どもたちとコミュニケーションをとるよう心がけました。子どもたちはボランティアのことを「バトゥコー!(お兄ちゃん)」「カコー!(お姉ちゃん)」と呼んでくれ、まるで本当に自分の弟や妹のようで可愛かったです。たとえその国の言葉が話せなくても、コミュニケーションをとる上で最も重要なのは伝えようとする心だと感じました。


<ボランティアを通して感じたこと>

孤児院について

 @孤児院経営のための資金が不足している

 Aテニスのコーチなど継続的なボランティアが不可欠である

 B孤児院を卒業した後に働くことができる職場が必要である

子どもたちについて

 C子どもたちの行動から愛情を欲している

 D新しいこと、ものには何でも興味を示す

 E親のしつけが子どもの生活に影響している

 以上の6つのことが印象に残りました。ブルガリアではまだ孤児院を援助する経済的余裕がないこと、また孤児院を卒業した後に働くための環境が整っていませんでした。孤児院を運営していくためには、私たちのようなボランティアや孤児院経営のための募金、中古のおもやや洋服を送るなどの支援が必要だと感じます。

 子どもたちと接する中で、気になったことがありました。それは子どもたちが「ごめんなさい」を言わないことです。本来ならば親のしつけによって学ぶことを、先生1人に対して10数人という環境で生活しているためにしつけが行き届いていないためでした。

 孤児院の子どもたちがタバコを吸っても、先生はそれを注意しません。ブルガリアには喫煙に年齢制限がないためです。しかし、一般の家庭で育つ子どもがタバコを吸うと親が注意するそうです。孤児院の子どもたちはタバコを吸っても注意してくれる大人はいません。この情景を見て、親のしつけのありがたみを実感しました。


<ボランティアを経験して>

 孤児院ボランティアを通して、観光だけではわからないブルガリアの魅力、課題を肌で感じることができました。子どもたちの笑顔、一見怖そうに見えるけれど心から子どもたちのことを考えている先生、ボランティアで出会った仲間たち、おいしくてヘルシーな食事、ヨーグルト、バラの香水、ブルガリアには今まで知らなかった素晴らしい魅力がたくさんありました。

 一方で、プロヴディフの素敵な街の遺跡がそのままになっていること、経済的に貧しいことなど、今後ブルガリアがより一層魅力的な国になるために課題が残っています。今後も募金や物資を送るなど孤児院ボランティアの活動を継続していく予定です。

 孤児院ボランティアを通じてブルガリアに出会えたことに感謝し、今後もブルガリアのニュースに注目していきたいです。


寄稿目次ページへ 川越東中授業のページへ