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ニュース目次


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タ イ ト ル(タイトル名をクリックしてください。当該記事へジャンプします。)
「和食」の魅力紹介事業の実施
カラヤンチェヴァ・ブルガリア共和国国民議会議長一行参議院訪問
※来日記念レセプション(ブルガリア大使公邸にて)
イベント「ブルガリアフェア」(毎日メディアカフェ)
友好 華やかに舞う
ブルガリア新体操チームが市川でバラ植樹 「2年後、見に来ます」
ブルガリア新体操チーム、園児らとバラ植樹 村山・東沢バラ公園
東京五輪で交流のブルガリア紹介 岡山・中央図書館で企画展
人口減るブルガリア
岡山県など五輪事前キャンプ協定 ブルガリアのバドミントン連盟と
バド・ブルガリア代表の来岡歓迎 大森市長ら出迎え、合同練習も
英国、EU移民に見限られ農作物収穫できず EU離脱への後悔「ブリグレット」広まる
中国と中東欧国家初の農産物物流センターと展示館がブルガリアに登場
盛岡でブルガリアの学生アート作品展示 美術を通して国を旅して
世界に発信を始めたブルガリアワイン
孤独からの救済描いたブルガリア映画、ムラデノフ監督「日本には秘められたものがある」
ステップ軽快 ブルガリア舞踊団、有田町を訪問
鬼才ピアニストのリサイタル
ブルガリアの民族舞踊団来日 18日に宗像で公演
発展途上の野球ブルガリア代表率いる長嶋茂雄氏後輩
ブルガリア、猛暑で5人死亡 気温44度の地域も
地方創生考(下)村山市 ヨーグルトの縁が紡ぐ未来 自治体のニーズに民間の力も活用
山形)ブルガリア女子新体操チームが村山で合宿
ブルガリアから東アジアへ。日本のヨーグルトカルチャーの創造
山中ブルガリア大使が辞職=元文科次官、天下り問題で
ブルガリアワインに注力 東京でセミナー 三菱食品




「和食」の魅力紹介事業の実施

 11月28日,ソフィアの料理学校「HCR Culinary Academy」において,日本政府認定「日本食普及の親善大使」としても活躍される和食料理人・齋藤章雄(さいとうあきお)氏による和食紹介のための特別授業を実施しました。
 同授業では,和包丁を使った包丁さばきのデモンストレーションや和食に欠かせない「だし」のテイスティングを含む和食の基礎に関するレクチャーが行われ,続くワークショップでは現地の食材を使った和食づくりの実習体験も実施しました。
 30日には,大使公邸での和食デモンストレーションも開催し,ユネスコ無形文化遺産にも登録されている「和食」の魅力を紹介しました。
 

和食の基礎レクチャー

和包丁を使ったデモンストレーション

巻き寿司作りワークショップ

実習体験(現地の食材を使った和食づくり)

大使公邸での和食デモンストレーション
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カラヤンチェヴァ・ブルガリア共和国国民議会議長一行参議院訪問

平成30年11月20日

カラヤンチェヴァ・ブルガリア共和国国民議会議長一行参議院訪問(平成30年11月20日)、懇談の写真 クリックすると拡大写真がご覧いただけます
カラヤンチェヴァ・ブルガリア共和国国民議会議長一行参議院訪問(平成30年11月20日)、議場での記念写真 クリックすると拡大写真がご覧いただけます

平成30年11月20日(火)、参議院の招待により来日したカラヤンチェヴァ・ブルガリア共和国国民議会議長一行が参議院を訪問し、伊達議長、郡司副議長、末松議院運営委員長及び議院運営委員会理事等と懇談を行いました。

伊達議長は、カラヤンチェヴァ議長一行の来日に歓迎の意を表した上で、来年、日本とブルガリア両国の交流開始110周年、外交関係樹立80周年、外交関係再開60周年という3つの記念すべき周年を迎えるに当たり、様々な分野で二国間関係が進展していくことを期待する旨述べました。また、両議会の半世紀にも及ぶ交流の歴史において、それぞれの友好議員連盟が積極的な役割を果たしていることに敬意を表するとともに、議会間・議員間の交流を今後も着実に積み重ねることにより、両国の友好協力関係を更に強固なものとしたい旨述べました。

これに対し、カラヤンチェヴァ議長は、訪日招待への謝意を述べた上で、長く友好関係にある両国は議員間の交流が活発であり、今後も両議会の関係を発展させていくとともに、政府も含めた要人往来の積み重ねが両国間の政治及び経済関係の更なる深化に貢献することを期待する旨述べました。また、日EU経済連携協定及び日EU戦略的パートナーシップ協定の実現は喜ばしいものであるとの認識を示し、近年ブルガリアへの日本企業の進出が増えていることに触れ、今後も引き続き日本からの投資を歓迎するとともに、観光分野での関係発展にも期待する旨述べました。

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毎日メディアカフェ(イベント「ブルガリアフェア」)
2018年10月20日

 毎日メディアカフェのイベント「ブルガリアフェア」が10月20日、毎日ホールで開催されました。
 日本、ブルガリア両国の相互理解、交流の促進に取り組んでいる日本ブルガリア協会が企画しました。第18回の今回、初めて毎日メディアカフェのイベントとして開かれました。
 初めに、猪谷晶子日本ブルガリア協会理事長が挨拶しました。「ブルガリアでは日本大使館が10月に文化月間を開催しています。文化交流はますます盛んになっています。今年は安倍首相のブルガリア訪問、ドイチェフ副首相の来日がありました。来年はたいへん重要な年です。天皇とブルガリア国王が会って交流を始めた交流開始110年、外交関係樹立80年、戦後の外交関係再開60年になります。日本とブルガリアはずっと仲良くしてきた国ですので、皆さまのお力を借りながら、交流を強めていきたい」と話しました。
 次に、ブルガリア共和国大使館のボリスラフ・コストフ特命全権大使が挨拶しました。安倍首相の公式訪問など両国関係について説明した後、「日本、ブルガリア両国は今までにない信頼レベルに達しています。ブルガリアフェアはブルガリアの文化、食などを紹介してくれます。両国の相互理解、協力を広げるため努力している日本ブルガリア協会に感謝しています」と述べました。
 続いて、毎日新聞の小松浩主筆は「ブルガリア関係の毎日新聞記事をデータベースで検索すると、6944件ありました。明治18年(1855年)、セルビアとブルガリアが開戦という記事が最初です。最近は地方でブルガリアの人と日本人の交流の記事が多く掲載されています。ブルガリアフェアが両国の絆を強めるために役に立つよう願っています」と挨拶しました。
 第1部のハイライトは、ブルガリアで開催された第24回日本語弁論大会の優勝者ガブリエラ・スタイコヴァさんによる講演です。21歳の大学生。タイトルは「日本に対する私の気持ち」。流暢な日本語で、次のように話しました。
 「昔からあこがれだった場所にいま立っているのが夢のようです。心の底に抱いていた日本への思いを伝えたかったのです。弁論大会の前は緊張してよく眠れず、体調を崩していました。周りの人たちの日本語能力が高く、自分なんかが勝てるわけがないと思っていました。優勝したときは、喜びのあまり気を失いそうになりました。気持ちを伝えられたことがうれしかったのです。
 中学校のころは悪い子でした(笑い)。自分を甘やかして遊んでいました。目的のない人間でした。いじめられていました。ある日、先輩に日本のドラマを見るように言われました。『ROOKIES』(ルーキーズ)。ある学校の野球部で、不祥事で活動停止になりますが、教師のひたむきな指導で甲子園を目指す物語です。感動して、いじめに負けない、強くなりたいと思いました。諦めない気持ちを学びました。勉強もがんばり、クラスで1番になりました。ほとんどの外国人はアニメやマンガがきっかけで日本に興味を持ちます。日本のドラマで変わることができたことを誇りに思います。いじめられていたのは弱い人間だったからです。お前は何もできないと言われたからです。教室に入ることにさえ恐怖を感じました。日本のドラマを見てから変わりたいと思い、日本語の教科書を勉強しました。何を勉強しているのと聞かれ、日本語だと答えると、お前はばかだと言われました。しかし、意思を強く持って、気にしないようにしていました。次第にクラスメートの態度が変わってきました。日本語だけではなく他の科目も勉強しました。クラスメートは私のことをうらやましく感じたそうです。テストの前にはクラスメートの勉強を手伝ったりしていました。人間として良い人になれたのではないかと思います。ルーキーズのおかげで、180度変わったのです。人間は変われることを日本人に教えてもらいました。
人間は悩みを持っています。それを解決するのは希望を持つことだと思います。夢を持つ権利は誰にも等しくある。それを奪うことは誰にもできない。夢に年齢は関係ありません。誰にも夢を見る権利があります。
 日本人の良い面と悪い面、自分の気持ちを伝えることができないことが多いと思います。人を傷つけたり心配させたりしないよう、感情を表に出さないからです。悩みすぎることはよくありません。もっとオープンになる必要があると思います。つらい思いや悩みを家族や友人に言うことが大事だと思います。日本を愛している外国人がいることを理解して下さい。関西の地震のときは、涙が出てきました。なぜ、日本にいて、力になれなかったのかと。私を救い、夢を持たせてくれた日本のそばにいて、大切にしたいです。日本を愛させてください。前も今もこれからも日本を愛し続けます」
 日本と日本の人々への愛情にあふれたスタイコヴァさんの言葉に、来場者から大きな拍手が贈られました。
 この後、ブルガリアの世界遺産について、世界遺産アカデミー研究員の本田陽子さんが講演しました。ブルガリアには文化遺産7件、自然遺産2件の計9件の世界遺産があります。このうち、「ボヤナの教会」「リラの修道院」「カザンラクのトラキア人の古墳」を紹介しました。まず、古墳から。トラキア人は先住民族で、紀元前にバルカン半島に広大な勢力を誇りました。紀元前4世紀ごろの王族の古墳には、貴重な古代ギリシャ時代の壁画が残っています。「黄金文化がありました。文字を持たないので、謎が多いです。着色された肉筆画の古代ギリシャ壁画は非常に貴重です」と本田さんは話しました。カザンラク一体は「バラの谷」と呼ばれ、5~6月にバラ摘みがあります。観賞用ではなく、ローズオイルの原料となるバラです。
 ボヤナ教会の建立は10~11世紀、13世紀、19世紀の3段階に分かれます。フレスコ画で知られ、13世紀の無名の画家たちによる作品は人間性や感情を表現しており、「ルネサンスの萌芽」と呼ばれるそうです。リラの修道院は10世紀に創建されたブルガリア正教会の総本山。国民の精神的な支えで「ブルガリアの魂」とされます。500年に及ぶオスマン帝国の支配下で、キリスト教信仰とブルガリアの文化を守り抜いたからです。1833年に火事で焼失した後、再建されました。
 最後に、毎日新聞旅行の渡辺和彦旅行課長が「バラ祭りの時期に訪れるブルガリアと世界遺産の旅」の紹介をしました。旅行期間は2019年5月13~22日。バラ祭りの見学、リラ僧院、ボヤナ教会、トラキア人の古墳の3カ所の世界遺産訪問のほか、芸術の町で欧州文化都市のプロブディフ、古都ヴェリコ・タルノヴォを観光します。
 第2部は懇親会。キュフテ、スネジャンカなどのブルガリア料理やワインを楽しみながら交流しました。ブルガリア人力士の虎来欧(とらきおう)さん(鳴戸部屋)も来場しました。元はレスリングの選手で、レスリングの先輩である琴欧州さん(鳴戸親方)へのあこがれから力士を目指しました。虎来欧さんのしこ名は先住民族「トラキア」人にちなんでいるそうです。虎来欧さんはインタビューを受け、「横綱を目指します。日本はサムライの国、めっちゃ好きです」と話しました。「彼女はいますか?」の問いには「います。相撲です」と答え、笑いを誘いました。
 最後に、民族音楽とダンスを楽しみました。

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友好 華やかに舞う

2018年09月20日

 ◇福山でブルガリアの舞踊団

 バラを通じて福山市と交流があるブルガリア・カザンラック市の民族舞踊団25人が19日、福山市役所を訪問し、市民との交流会で軽やかな踊りを披露した=写真=。

 舞踊団は「福山ブルガリアフェスティバル」参加のため、NPO法人・福山ブルガリア協会などの招きで来日した。

 市役所北側広場で行われた交流会では、杉野昌平副市長が「ダンスを通して、ブルガリアと福山の親善友好の輪が一層深まることを期待します」とあいさつ。白と赤を基調とした民族衣装に身を包んだ一行は、軽快なステップを踏んで来庁者らを魅了した。

 カザンラック市の第50代バラの女王、ミハエラ・ハジエバさんも市民らと一緒にダンスを楽しみ、「これからもダンスを通じて、カザンラックを紹介していきたい」と笑顔を見せた。

 同協会の伊達道保事務局長(69)は「フェスティバルも5年目を迎え、市民の方々も自然と踊りの輪に加わってくれた。親しみを感じてくれているようですね」と話していた。一行は、20日は市立久松台小を訪れ、児童らと交流を深める。

2018年09月20日

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【千葉】
ブルガリア新体操チームが市川でバラ植樹 「2年後、見に来ます」

2018年7月17日東京新聞 TOKYO WEB

ブルガリアの新体操チーム(左列)にプレゼントを贈った生徒ら=市川市で

 2020年東京五輪に出場するブルガリアの新体操代表チームが市川市を訪れ、塩浜市民体育館を見学した。

 同チームは五輪前、山形県村山市で事前キャンプを行い、大会期間中、この体育館で練習することを検討するという。

 訪れたのは選手12人にコーチ・スタッフらを含めた総勢24人。村越祐民市長は「東京五輪でブルガリアチームが金メダルを取れるよう、市川市はサポートする」と一行を歓迎した。

 同体育館を拠点に練習する地元の「安達新体操クラブ」の小中学生や、昭和学院高校新体操部の生徒たちが演技を披露。生徒たちはプレゼントも贈った。ブルガリアの団体主将であるシモナ・デャンコヴァ選手(23)は「いい施設で、十分な練習が行えると思う。子どもたちの演技も素晴らしかった」と笑顔を見せた。

 この後、体育館正面入り口でブルガリアの国花で市川市民の花でもあるバラの記念植樹があり、マドレン・ラドゥカノヴァ選手(18)は「2年後、このバラが咲いている様子を見に来ます」と話していた。 (保母哲)

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ブルガリア新体操チーム、園児らとバラ植樹 村山・東沢バラ公園

2018年06月19日

植樹したバラの前でブルガリアの新体操選手に園児が歌をプレゼントした=村山市・東沢バラ公園

 村山市で東京五輪に向けた事前キャンプ「ROSE CAMP(ローズキャンプ)」を行っているブルガリア新体操ナショナルチームと地元のロータリークラブ(RC)などが19日、キャンプ開催を記念して同市の東沢バラ公園にバラの苗を植樹した。

 村山RC(佐竹義弘会長)と村山ローズRC(高谷時子会長)が「おもてなしイベント」として企画。本年度、国際ロータリーが取り組む「会員1人1本の植樹」の一環として、市の花と同国の花であるバラを選んだ。苗は同国から、香り高く「バラの女王」と称される「ダマスクローズ」を取り寄せた。

 この日は楯岡幼稚園(里村学園長)の年長児も加わり、約70人で30株を植樹した。園児は歌をプレゼントし、選手たちに笑顔が広がっていた。佐竹会長は「きれいに花が咲いたところを選手たちに見てもらいたい」、高谷会長は「村山市とブルガリアの交流の絆がさらに強くなってほしい」と話していた。

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東京五輪で交流のブルガリア紹介 岡山・中央図書館で企画展


2018年05月07日


ブルガリアの文化などを紹介する書籍が並んだコーナー
 2020年東京五輪・パラリンピックの参加国と地域住民が交流する国の「ホストタウン」構想で、岡山市の相手国となっているブルガリアを広くPRして大会機運を盛り上げる企画展が、中央図書館(同市北区二日市町)で開かれている。6月28日まで。

 1階入り口近くにコーナーを特設し、書籍やパネルなど約70点を展示。ブルガリアの民族衣装や料理といった文化、歴史を特集した書籍をはじめ、絵本や小説などを並べている。元大関の琴欧洲ら同国出身のスポーツ選手のほか、人口や言語に関連する資料も置いている。

 会場では、同国で2番目に大きく、市の国際友好交流都市のプロブディフ市が制作した観光PR動画を放映しているほか、五輪・パラリンピックに向けた代表選手の事前キャンプ受け入れや大会中に歓迎会を開くといった岡山市の交流計画概要も紹介している。

 男性(63)=同市南区=は「琴欧洲やヨーグルトでなじみのある国。歴史についても知りたくなった」と話した。

 同国は、16年12月に市の相手国として登録された。市は昨年、市内の中学生を現地に派遣したり、市立小中学校の給食に同国の料理を提供したりしている。
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人口減るブルガリア

2018年01月18日西日本新聞社

 安倍首相が欧州歴訪で日本の首相として初めて訪れたブルガリア。元大関琴欧洲関の出身国であることや名産のヨーグルトを思い浮かべ牧歌的なイメージがあったが、世界で最も急速に人口が減っている国なのだそうだ。

 フランス経済紙レゼコーによると、1980年代に約900万人だった人口が、今は約700万人。2050年には450万~520万人になるという予測がある。なぜこんなに減っているのか。一つは1989年に共産党支配が終結した後、富める国への移住が一挙に進んだのが要因だ。「ただ旧体制から出生率が低下していた。2年間の育児休暇など施策を導入したが歯止めがかからなかった」と、仏国際関係研究所の専門家は話す。

 現在のブルガリア連立政権には民族主義の政党連合「統一愛国者」が入り、移民排斥の圧力が強い。このため外国人労働者の活用も進まない。高齢者の貧困率が高いことも問題だという。日本とは経済規模が全く異なるけれど、人口減少は何をもたらすのか。ブルガリアの今後に学ぶことは多いと思う。 (井手)


=2018/01/18付 西日本新聞夕刊=

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岡山県など五輪事前キャンプ協定 ブルガリアのバドミントン連盟と

2017年12月03日



協定書を手にするカサビアン会長(右から3人目)ら
 岡山県と岡山市、県バドミントン協会は3日、2020年東京五輪に向け、ブルガリアのバドミントン連盟と事前キャンプに関する協定を結んだ。同国の代表チームがジップアリーナ岡山(同市北区いずみ町)など同市内の施設を活用する。県内の自治体が東京五輪の事前キャンプで協定を結んだのは初めて。

 調印式が同市内であり、同国バドミントン連盟のピュザント・カサビアン会長、伊原木隆太知事、大森雅夫市長、県バドミントン協会の岡崎彬会長が協定書に署名した。協定書には、選手と市民の相互交流も盛り込んだ。

 岡山市は東京五輪・パラリンピックの参加国と地域住民が交流する「ホストタウン」構想でブルガリアが相手国になっており、大森市長は「全力でサポートする。東京五輪での活躍を願い、共に頑張ろう」と述べた。

 終了後、カサビアン会長は「岡山は練習環境が良く、幅広いレベルの選手と戦うことができる。東京五輪まで毎年訪れ、選手強化に臨みたい」と話した。同国選手は11月30日に岡山市入りし、今月10日までの日程で強化合宿をしている。

 県、岡山市は4日、スペイン柔道連盟とも事前キャンプに関する協定を結ぶ。

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バド・ブルガリア代表の来岡歓迎 大森市長ら出迎え、合同練習も



大森市長から歓迎されるブルガリア代表選手
 2020年東京五輪も視野に入れた強化合宿のため来岡しているバドミントン・ブルガリア代表の歓迎式が1日、ジップアリーナ岡山(岡山市北区いずみ町)で開かれ、大森雅夫市長らが出迎えた。

 代表選手の男女6人とスタッフ4人が出席。大森市長が「岡山の魅力に触れながら充実した合宿を過ごしてもらい、東京五輪で素晴らしい成績を残してほしい」とあいさつし、県産の愛宕梨(あたごなし)などを選手に贈った。

 同国バドミントン連盟のピュザント・カサビアン会長は「バドミントンで有名な日本で練習ができて光栄。岡山は天候がよく素晴らしい」と話した。

 選手らは11月30日に岡山入り。この日は倉敷翠松高校と倉敷中央高校のバドミントン部と合同練習に励んだ。合宿は10日までで、社会人や大学生チームとも合同練習する。

 岡山市は、東京五輪・パラリンピックの参加選手と地域住民が交流するブルガリアの「ホストタウン」として登録。五輪の事前キャンプ地にも決まっており、3日には競技団体と協定を結ぶ。

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英国、EU移民に見限られ農作物収穫できず EU離脱への後悔「ブリグレット」広まる

2017年11月30日



yuris / Shutterstock.com

 店先に並ぶおいしそうなリンゴやラズベリー。こういった英国産のフルーツを摘み取るのは、実はEUから来る季節労働者たちだ。強いポンドと移動の自由に魅かれて集まったEU域内の移民がイギリスの農業を支えてきたが、ブレグジットを前にその数が大幅に減っている。労働者不足は農業以外にも広がっており、今後のイギリス経済への影響が心配されている。

◆収穫放棄やむなし。移民なしでは成り立たないイギリスの農業


 英農業生産者組合、National Farmers Union (NFU)によれば、野菜や果物の収穫のためイギリスで必要とされる季節労働者は約8万人で、最近はその75%がルーマニアとブルガリア出身者だという。ところが、2016年6月にブレグジットが決まり、2019年3月にはイギリスがEUを離脱することになったため、イギリスを目指す労働者の数が減少している。離脱決定後のポンドの下落と、ビザなし移動の自由が不透明となったことが一番の理由だ。また、ルーマニアやブルガリアの経済が好調なことも、出稼ぎ者の減少につながっているという。NFUは今年9月の時点で、移民労働者の不足は29%に達していたとしている(NBC)。

 フィナンシャル・タイムズ紙(FT)は、失業率が低いことと、収穫作業が季節労働であることから、イギリス人労働者を雇って穴埋めすることは困難だと説明している。当然収穫する人のいない野菜や果物は放置されることになる。あるリンゴ農家は、収穫期を過ぎて生食用に出荷できなくなった100箱ほどのリンゴをジュース用に回した。スーパーでなら1級品として販売されるものだったが、価格は5分の1ほどになってしまったという。スコットランドの農家では、約50万ポンド(約7500万円)分のブルーベリーを摘み残した。ケント州の果樹園でも、全体の20分の1にあたる量のラズベリーを摘みきれず、約70万ポンド(約1億円)の損失を出している。ブロッコリーやカリフラワー、カボチャなどの人が手作業で収穫する野菜などにも影響が出ていると同紙は報じている。

◆国産野菜や果物が消える?焦る農業関係者


 このまま人手不足が悪化すれば、農家は労働集約型の作物の生産をやめるだろうと予想される。結果として、そういった作物は手に入れづらくなるか市場から消えるかのどちらかで、その代償を払うのは消費者だとNBCは述べる。また、野菜や果物のコストの10~60%は人件費だと言われており、労働者を集めるため賃金を上げれば、価格に当然反映されるとしている。

 NFUのミネット・バターズ副会長は、1945年から2013年まで存在していた、農業に従事する季節労働者向けの政策と類似するものを緊急で再導入すべきだと主張する。同氏は、ほとんどのEU加盟国はウクライナ、タイ、モロッコなどの域外の国々にまで労働者の対象を広げているとし、状況が悪化する前に政府が対策を取るべきだと述べている(FT)。しかしNBCは、ブレグジットが支持された要因の一つがより厳しい国境コントロールであったため、これ以上移民受け入れを話し合うことは政治的に有害だと述べ、しばらくはそのような措置はありそうもないとしている。

◆離脱後の読みが甘かった。人手不足は農業以外にも


 もっとも、このような農家の苦しみは、自業自得ではないかという意見もある。EU離脱を問う国民投票は、52%対48%で離脱派が勝利したが、多くの農業組合が労働者不足を警告していたにもかかわらず、イギリスの農家の多くは離脱に賛成していたとNBCは指摘する。インデペンデント紙によれば、移民労働者不足で65%の労働力しか確保できず、地元の農業が崩壊すると危機感を募らせるコーンウォール地方でも、実は全国平均を上回る56%以上の人が離脱を支持していたという。

 ロイターによれば、移民労働者不足の影響は農業以外でも出ている。公式の統計によれば、8月の純移民数はここ3年で最低となり、減少の半分はEU離脱を問う国民投票以来EU市民が流出し、流入が減っていることによるという。イギリス求人雇用連盟(REC)のケビン・グリーン氏は、EUからの労働者の減少を受け、将来の移民制度がどうなるのかを明確にしなければ、状況は悪化し、雇用者はさらなる人材不足に直面するだろうと警告している。

 交渉の速度が増し経済的余波が明白になるなか、世論調査ではブレグジットへのサポートが減少しているとNBCは報じている。離脱を後悔するブリグレット(Bregret)が、イギリス社会にじわじわと広がっているようだ。

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中国と中東欧国家初の農産物物流センターと展示館がブルガリアに登場

2017年11月29日(水)

ブルガリア・プロヴディフ近郊のトラキア経済区に建設された、中国と中東欧国家初の農産物物流センターと展示館が24日に運営をスタートさせた。
ブルガリア・プロヴディフ近郊のトラキア経済区に建設された、中国と中東欧国家初の農産物物流センターと展示館が24日に運営をスタートさせた。同物流センターは電子商取引をメインとしたプラットフォームで、中国と中東欧国家の農産物の貿易、販売、展示及び流通を目的としている。中国の農産物企業約10社とブルガリアの農産物企業約20社が当日のオープニングセレモニーに出席した。新華網が伝えた。(編集TK)

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盛岡でブルガリアの学生アート作品展示 美術を通して国を旅して

2017年11月17日

盛岡でブルガリアの学生アート作品展示 美術を通して国を旅して
新ブルガリア大学美術コースの教員Anna Yanevaさんの作品「The Hatchery」

 旧石井県令邸(盛岡市清水町)で11月20日から、ブルガリア共和国・新ブルガリア大学の教員と学生らによるアート作品を展示する「Bulgaria Art Ship in MORIOKA」が開催される。

 同展覧会を企画するのは岩手在住の作家・本田綾子さん。本田さんは昨年12月にブルガリア共和国へ渡欧し、その際に縁あって新ブルガリア大学美術クラスの教員と学生と交流する機会を得たという。その中で、教員と生徒らの作品を借り日本で展覧会ができないかというアイデアが生まれた。距離があるブルガリアと日本を作品が結び、作品を通じてブルガリを知ってもらおうという思いを込め、展覧会のタイトルは、「船」を意味する「Ship(シップ)」と、「友情」という意味がある「Friendship(フレンドシップ)」から、「Bulgaria Art Ship」とした。

 本田さんは「日本人にとってのブルガリアのイメージは限られていて、私自身も訪れるまでブルガリアがどんな国かあまり知らなかった。今ではまた訪れたい、多くの人にもっとブルガリアについて知ってもらいたいという思いもあるが、距離があるので気軽に行けるわけではないので、私たちの代わりに作品たちに旅をしてもらおうと思い付いた」と話す。

 展覧会には新ブルガリア大学美術コースの教員・生徒合わせて19人による39点を展示。油彩やアクリル、水彩、デジタルアートなど、学生ならではのバラエティーに富んだ作風が集まり、日本ではあまり見かけない手法を取り入れた作品も並ぶ。コラボレーション展示として、盛岡大学文学部児童教育学科美術ゼミナールの生徒らの作品も展示するほか、23日にはチェロのミニリサイタルも開催する。

 本田さんは「ブルガリアの学生たちの作品を盛岡で展示すること自体が珍しいと思う。ブルガリアの大学生も日本の大学生と同じように模索して、作品を生み出している。ブルガリアの学生たちがどのように生活して、何を考えているか作品を通じて感じ取ってもらえたらうれしい。ぜひ楽しんで」と呼び掛ける。

 開催時間は11時~17時(最終日は16時まで)。入場無料。今月26日まで。同展は来年1月15日から札幌へ巡回予定。

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日本とブルガリアとの間の外交関係樹立年の特定

平成29年11月15日

交換式の様子
  1. 日本とブルガリアとの間では,外交関係樹立年について明確に特定されていなかったことを受け,2014年12月に両国外務省間で,「日・ブルガリア外交関係樹立年特定のためのワーキンググループ」を設立し,外交関係樹立年の特定に関する作業を進めてきました。
  2. この度,約3年にわたる同ワーキンググループの作業を経て,日本とブルガリアとの間の外交関係樹立年は1939年に特定され,11月1日,ブルガリア外務省にて外交関係樹立年に関する口上書及び同ワーキンググループの作業結果をまとめた議事録の交換式が行われました。作業結果の詳細は議事録(英語)のとおりです。
  3. 今回の外交関係樹立年の特定を持もって,2019年には日・ブルガリア外交関係樹立80周年を迎えることになります。これを機に,二国間関係の更なる促進が期待されます。

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世界に発信を始めたブルガリアワイン


2017.11.10

Author / Photographer: トラキアトレーディング
ベルギーのブリュッセルで10月20~23日の間、ベネルクス最大のワイン展示会メガヴィノが行われました。
メガヴィニ・ブルガリア展
メガヴィニ・ブルガリア展
aaa ブリュッセル メガヴィニ
ブリュッセル メガヴィニ

展示会では今年の注目すべき国としてブルガリアが選ばれ、トップワイナリーの一つであるカタルジーナエステイトはブルガリアを代表してブルガリアワインのハイクオリティでリーズナブルな点をアピールしました。

ニコロヴァ・カタルジーナCEO
ニコロヴァ・カタルジーナCEO

またカタルジーナのニコロヴァCEOはブルガリアのワインプロデユーサーの代表としてO.I.V(国際ぶどう・葡萄酒機構)マスタークラス30周年記念会議に招かれ、カタルジーナのワイン造りやトレンドについて講演をしました。

ブルガリアは他の東欧諸国と比べてもワインに関する情報や発信があまり無く、またプロモーションなど不得手でもある国です。

現在ワイン造りは世界のあらゆるところで行われ、今までワインとはあまり縁のなかったタイやインド等の亜熱帯地域にまで広がっています。

 

フランス、イタリア、スペインをはじめ西欧の主流派はもちろん、米国、南米、オセアニア、南アフリカなど、躍進著しいニューワールドと呼ばれる国々や、日本も含め新興国もしのぎを削って自国のワインのアピールをしています。

西欧より遥か昔からワイン造りを始め、ワイン神ディオニソス発祥の地でもあるブルガリアは多くのセールスポイントがありながら後手に回っている感は否めません。

その中で創設10年を経て、これから世界に向けて勇躍出て行こうとしているカタルジーナは積極的に広報を始めています。名高いワインコンクールに出品するのもその一環です。


醸造家はじめカタルジーナのメンバーは必ずしもコンクールでの評価に価値があると思ってはいませんが、自分たちのワインの客観的な評価を知るためと、古代から続くワインの国を代表して、その情熱と誇りを広く世に知らしめたいと言う思いで参加しています。最近の主なコンクールの受賞結果は以下の通りとなっています。

ドイツ ムンドゥスヴィニ2017 
ゴールドメダル ショパンノクターン、ショパンバラード、クエスチョンマークゴールド、カタルジーナリザーヴ(ベストブルガリアワイン賞も同時受賞)

ムンドゥスヴィニ春
ムンドゥスヴィニ春

ムンドゥスヴィニ夏
ムンドゥスヴィニ夏

CWSA2017(チャイナワイン&スピリットアウォード:アジア最大規模のコンクール)
ダブルゴールドメダル カタルジーナリザーヴ(ベストブルガリアワイントロフィー同時受賞)、ゴールドメダル アンコールシラー、クエスチョンマークゴールド、その他

CWSA
CWSA

サンフランシスコ インターナショナルワインコンピティション2017
ゴールドメダル カタルジーナリザーヴ(ベストオブネーション同時受賞)

ブルガリアベストワイン
ブルガリアベストワイン

ヴィナリエインターナショナルパリ2017
ゴールドメダル アンコールシラー

ヴィナリエインターナショナルパリ
ヴィナリエインターナショナルパリ

シラーデュモンド2017
ゴールドメダル アンコールシラー(シラーデュモンド世界トップ10シラー認定)

シラーデュモンド
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トラキアトレーディング
ドバルデン!(こんにちは)、ブルガリアワインインポーター・トラキアトレーディング代表の岡崎です。まだまだ知られていないブルガリアのワインや商材を通じて、ブルガリアがより身近に感じられるよう、両国の懸け橋になることを目指しています。

孤独からの救済描いたブルガリア映画、ムラデノフ監督「日本には秘められたものがある」

2017年10月26日

(左から)リュボミル・ムラデノフ監督、ツベタン・アレクシエフ、イバン・ディミトロフ「シップ・イン・ア・ルーム」
(左から)リュボミル・ムラデノフ監督、ツベタン・アレクシエフ、イバン・ディミトロフ


[映画.com ニュース]第30回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品されたブルガリア映画「シップ・イン・ア・ルーム」が10月26日、東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズで上映され、来日したリュボミル・ムラデノフ監督、出演のツベタン・アレクシエフ、イバン・ディミトロフが会見を行った。

映画は、男性カメラマンのフィリペと、家を失った女性パブラとその弟イバンの関係性を描く。フィリペは偶然出会った姉弟を家に受け入れるが、イバンは1年前に暴漢に襲われたことをきっかけに外に出られなくなっていた。カメラマンとしての方向性を見失っていたフィリペだったが、イバンを孤独から救済するため、外の世界の何気ない映像を撮り始める。

今回が2度目の来日となったムラデノフ監督は、「世界中を回っても、また戻ってきたいと思えるのは日本だけです。ここには何か秘められたものがある気がします。それはヨーロッパでは失われたものかもしれません。私の作品がほかでもない日本で上映されたのも偶然ではなく、何かのつながりがあると思います」と日本愛を明かした。

また、今作でフィリペが映した淡々とした“日常”で見せたかったのは「演技ではなく、生の映像」だといい、「例えば、地下鉄や電車で知らない人と向き合うと、現実と向き合っているような気がします。その人が私の目の前で輝いていている。そんなメッセージをフィリペからイバンに伝えようと思いました。私にとって大切なのは、そんな生の現実を感じ取ることなんです」と込めた思いを語った。

初来日となったフィリペ役のアレクシエフは、「学生時代に極真空手をやっていたので、日本に来られて嬉しいです。その経験があったからこそいろいろな役ができました。ストイックさや、言われたことを正しく聞いて従うといった、演技でも使える能力を身に付けたので、日本に恩を感じています」とニッコリ。劇中でのフィリペとイバンの親子のような関係性について問われると、「フィリペとイバンが出会う意味には、フェリペが自分自身と向き合うという意味もありました。父と子の関係というよりは、イバンの立場に立って、同じように考えるようにしました」と述懐した。

一方、イバン役のディミトロフは、「個人的な考えですが、西洋ではどんな男性間の友情にも父と子のようなものが感じられるんです」と述べ、「昔は父親が息子が立派な大人になるための会話や儀式のようなものがありましたが、現代にはありません。撮影中には、姉と自分を受け入れて世話をしてくれたフィリペのことを、父親のように感じるべきではないかと思いました」と、昔ながらのあたたかな親子関係に思いを馳せていた。

第30回東京国際映画祭は、11月3日まで開催。

(映画.com速報)

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ステップ軽快 ブルガリア舞踊団、有田町を訪問

2017年09月24日


ブルガリアの伝統の踊り披露

 ブルガリアの青少年舞踊団「カザンラック民族舞踊団」が22日、有田町を訪れ、町庁舎や有田中で軽やかな踊りと音楽を披露した。

 町庁舎では白を基調にした衣装に身を包んだ踊り手が、祭りや祝いの席で踊るダンスを紹介。町内のおおやま保育園の園児や居合わせた町民の前で、ガイダと呼ばれるバグパイプなど、伝統の楽器の演奏に合わせ、軽快なステップで盛り上げた。最後は園児の手を取り、輪になって踊った。

 舞踊団は同日夜に開かれた「有田ポーセリンパーク秋祭り」に合わせて来日した。踊りを披露する前に、団長のストヤノフ・ヒリストさんと、今年のバラの女王のイリエヴァ・ツヴェテリナさんが、山口隆敏町長を訪問。町から有田焼のカップなどを贈られた。

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チケットプレゼント

鬼才ピアニストのリサイタル

10月5日 鎌倉芸術館


エフゲニ・ボジャノフ
 「エフゲニ・ボジャノフ ピアノ・リサイタル」が10月5日(木)に鎌倉芸術館小ホールで午後7時から開催される。ブルガリア出身の鬼才ピアニスト、エフゲニ・ボジャノフが出演。全席指定4500円。問合せは同館チケットセンター【フリーダイヤル】0120・1192・40へ。

 このチケットを読者5組10人にプレゼント。希望者は葉書に〒、住所、氏名、年齢、電話番号を記入し、〒253―0054茅ヶ崎市東海岸南1の14の9茅ヶ崎市楽友協会「ピアノ・リサイタル」係へ。9月27日(水)必着。当選発表は発送をもって代える。個人情報は発送のみに使用。




ブルガリアの民族舞踊団
来日 18日に宗像で公演 /福岡

 宗像市とパートナーシップ協定を結んでいるブルガリア・カザンラック市の民族舞踊団が来日し、14日、同市のグローバルアリーナで歓迎を受けた。

 サニックススポーツ振興財団(宗政寛代表理事)の「ブルガリアフェスティバル」(16~17日と23~24日、入場無料)のために訪れた。歓迎会で宗政代表理事が「今年で17回目。両国の絆をより深めるよう盛り上げたい」とあいさつ。舞踊団が感謝の歌を披露し、谷井博美市長らに記念品を贈った。

 舞踊団は学校訪問などでも交流し、18日は午後1時半から、宗像ユリックスで公演(当日2500円)する。グローバルアリーナ0940・33・8400。【前田敏郎】

〔福岡東版〕

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発展途上の野球ブルガリア代表率いる長嶋茂雄氏後輩

[2017年8月21日]


藤森監督(藤森健氏提供)

 野球のブルガリア代表監督を日本人が務めている。千葉・佐倉高、早大の野球部に所属した藤森健氏(39)で、このほどベオグラード(セルビア共和国)で行われた欧州野球選手権Bプールで指揮を執った。競技人口約400人の同国で、野球の普及とスポーツを通した子どもたちの教育を目指している。

 ブルガリアが出場した欧州選手権Bプールは、39カ国参加の欧州野球連盟の2部チーム12カ国が2つに分かれ、リーグ戦を行う。優勝すれば2年に1度、12カ国で争われる本戦に出場できる。最下位ならCプールに転落だ。

 7月24日から5連戦で行われたリーグ戦で、ブルガリアは3連敗後、2連勝して5位となり残留を決めた。藤森監督には勝敗以上にうれしい場面があった。「選手が率先して試合後のベンチでゴミを拾うなど、きれいにして退出した。技術の上達より態度の変化を感じるとやりがいがあります」。欧州野球全体に感じるそうなのだが、代表選手でも負ければチームメートや審判に責任転嫁し、道具を粗末にしたり、片付けは人任せなどマナーに欠ける。技術以前に教えることが多かった。

 選手にも気の毒な面がある。藤森監督が「レベルは日本の高校生の地方大会3、4回戦ぐらい」と評する代表の平均年齢は28・8歳。ドイツのリーグでプレーする大学生はいるが、職業は教師や自営業などさまざまで、大会まで集合できない。連係プレーの練習は開幕後に初めて行った。仕事を休む上、経費は自己負担で、代表を辞退する選手もいる。だから、24人登録できるのに、ベンチ入りしたのは15人だった。

 ブルガリア野球連盟の創設は1989年。92年バルセロナ五輪で野球が正式競技に採用される時期だった。当初は青年海外協力隊の日本人が、同国がEUに加盟する08年まで野球普及に携わった。藤森監督も派遣された1人で、04年から3年間、子どもから成人まで指導。当時、接した10代の中から今回代表入りした選手がいる。成長した彼らを目の当たりにして、さらに決意を固めた。「今後は彼らとともに5年後、10年後を目指し、低年齢の子どもに力を注ぎたい」。

 派遣後、一時日本に戻ったが、09年に結婚したブルガリア人の妻と10年に移住。11年にスポーツ教育振興を目的とした小さな会社を起こした。ボランティアで野球連盟を手伝い、クラブチームを結成した。近く各小中学校にチームを作り、学校対抗戦を企画したい。今大会限りの約束で代表監督を引き受けたのは、チームの垣根を越えて、代表選手と国内野球について、話し合うのが目的だった。

 出身の佐倉高は長嶋茂雄氏(81)の母校だ。「日本の方と話をすると、高校名だけで『長嶋さんの!』と認識してくださるので、感謝しています」と話すように、面識はない。それでも「野球とは人生そのもの」と語る大先輩と同じ。果てしない野球道を歩んでいる。【久我悟】

 ◆藤森健(ふじもり・たけし)1978年(昭53)4月5日生まれ、千葉県習志野市出身。佐倉高時代は投手。早大時代は外野手で通算1打数無安打。同期に元日本ハム投手の江尻慎太郎氏(現侍ジャパンU12コーチ)がいる。02年早大人間科学部スポーツ科学科卒業、04年同大学院人間科学研究科修士課程修了後、青年海外協力隊に参加してブルガリア派遣。08年から2年間青年海外協力協会勤務。10年にブルガリアに移住。

 ◆ブルガリア共和国 11・09万平方キロメートル(日本の約3分の1)、人口717万人、首都ソフィア、公用語はブルガリア語、在留邦人数は127人。盛んなスポーツはサッカーで最新FIFAランクは52位。大相撲の鳴戸親方(元大関琴欧洲)碧山(春日野)の出身国。

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ブルガリア、猛暑で5人死亡 気温44度の地域も

2017年07月02日発信地:ソフィア/ブルガリア


熱波に見舞われたブルガリアの首都ソフィアで、スカーフで日差しを防ぎながら歩く女性(2017年6月30日撮影)。(c)AFP/Dimitar DILKOFF

【7月2日 AFP】ブルガリアの首都ソフィア(Sofia)で1日、病院関係者によれば、猛暑により5人が死亡した。ブルガリアでは同日、一部の地域で気温が44度に達するなど、17の地域に今夏初の高温警報が出されていた。

 救急当局の広報担当者によると、1日正午(日本時間同日午後6時)までに、体調不良を訴えた約200人に処置を施したという。

 救急当局は、日中の外出を控えるよう市民らに呼び掛けるとともに、緊急治療を必要とする人々のために、容体が深刻でない場合は救急車両を呼ばないよう求めた。

 ソフィアは長年にわたって慢性的な救急車不足に直面している。(c)AFP

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地方創生考(下)村山市 ヨーグルトの縁が紡ぐ未来 自治体のニーズに民間の力も活用

2017.6.27


リオデジャネイロ五輪の新体操団体で銅メダルを獲得したブルガリアの「ゴールデンガールズ」=2016年8月21日、リオ五輪アリーナ (桐山弘太撮影)

 「これから成田に行って、ブルガリアに行ってきます」。食品大手「明治」のオリンピック・パラリンピック推進部の渉外グループ長はこう聞かされてわが耳を疑った。昨年9月下旬、上京してきたばかりの山形県村山市の担当者と初めて会って打ち合わせを始めたところだった。

 「バラつながりでブルガリアの選手を呼びたい。ホストタウンで一緒にやりませんか」。村山市からそんな話があった。村山市は毎年、市内の公園でバラ祭りを開催し、ブルガリアは国の中部にある「バラの谷」で知られる。

 明治に相談を持ちかけたのにはもう一つのつながりがある。ブルガリアといえばヨーグルト。明治の商品の一つである。明治のブルガリアの知見を生かそうというわけだ。

 そこで話をきいてみると、「ブルガリア大使館にホストタウンとして新体操の選手を呼びたいと話をしたが、待っていられない」。地元中学校の新体操部顧問らも一緒に上京し、まさにブルガリアに乗り込まんとしていた。

 そこでどうなったのか。村山市の一行が目指したのはブルガリアのオリンピック委員会。新体操連盟を紹介してもらい、そこでプレゼンテーションを敢行。地域のよさに加え、体育館や宿舎の施設もいかに整っているかを訴えた。

 ブルガリアの新体操は65年の歴史を持ち、昨夏のリオデジャネイロ五輪でも銅メダルを獲得した強豪。新体操界では「ゴールデンガールズ」と呼ばれる。今年は選手総入れ替えで新生チームとなったが、すでにワールドカップで団体金メダルに輝いている。

 「新体操連盟も心機一転、東京大会でいい成績を残せるだろうと提案を受け入れた。アクションがすごく速い」と、事態はさらに渉外グループ長の驚く展開に。そしていま、「ROSE CAMP2017」として選手の受け入れが今月14日に始まり、28日まで、選手13人が早くも“事前合宿”を体験している。

 この行政のスピード感に企業がもたついてはいけない。明治も社員を講師にブルガリアの食や健康に関するセミナーを実施。乳酸菌の効果を知ってもらう食育や、「ブルガリアヨーグルトの秘密」といった食文化の紹介も行った。この動きはヨーグルトでブルガリアを体験する学校給食や家庭料理にも発展しつつある。

 だが、大事なのは、医療や介護、生活支援といった自治体の抱える課題に企業はどう貢献できるのかということ。高齢者の食や栄養に関する課題と企業ができる健康食品の提供と流通。そこには「地域包括ケアシステム」という新しい目標が見えてくる。

 「ホストタウンはつなげること。それで言うと、製品とサービスで直接、市民に貢献できるのではないか。自治体のニーズに民間の力も活用していただき、地域にレガシーを残したい」。大手企業とスポーツの関係も変わろうとしている。(蔭山実)

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山形)ブルガリア女子新体操チームが村山で合宿

三木一哉

2017年6月16日


保育園児から贈り物を受け取るブルガリアの女子新体操チームの選手たち=村山市役所

 ブルガリアの女子新体操チームが15日、2020年の東京オリンピック・パラリンピックでホストタウンになっている村山市に到着した。28日まで「ローズキャンプ」と名付けて市内で合宿し、練習や公開演技会、文化交流などをする。

 午後1時、選手とスタッフの計26人が村山市役所に到着し、職員や市民から横断幕や拍手で迎えられた。地元のしろはと保育園と新町保育園の園児から折り紙の贈り物を受け取った。

 チームを代表し、ネビアナ・ブラディノバ選手(23)が「しっかり練習しながら日本に慣れ、いい結果が出るように努力します。よい関係を築き、文化交流もしたい。村山の新体操競技のためにも貢献できたらうれしい」とあいさつ。志布隆夫市長は「長旅は大変と思いますが、それもオリンピックに向けての大事な経験。村山での滞在を楽しんで下さい」と歓迎した。

 滞在中は、楯岡中学校の新体操部との合同練習のほか、茶道や華道などの体験も予定している。

 24、25日は午後2時から市民体育館で公開演技会がある。入場料は前売り千円(当日500円増し)。チケットぴあや市生涯学習課などで発売する。高校生以下と市民は無料だが、市が配布する無料券が必要。問い合わせは市東京オリンピック・パラリンピック推進室(0237・55・2111)へ。(三木一哉)

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ブルガリアから東アジアへ。日本のヨーグルトカルチャーの創造

NewSphere2017年06月09日

著:Maria Yotova(関西学院大学 Lecturer in Food Culture)

 日本の新しい食のトレンド、それがヨーグルトだ。ヨーグルトの目にも美しいディスプレイは日本の食卓の最新の流行だ。ヨーグルトは日本で人気な食品となっている。

 今日、何百万人もの日本人が日々の食事の中にヨーグルトを取り入れ、ヨーグルト市場は着実に成長している。食品産業新聞デジタル版3月6日付の記事によれば、乳製品に特化した子会社をもつ業界最大手のメーカー、明治ホールディングスの年間売上総額は4100億円(約37億米ドル)にのぼるという。

 日本人には馴染みが薄く、つい35年前までまずいどころか食べられないとまで思われていた食品がどのようにして毎日欠かせない食品、健康と幸福の象徴になったのだろうか。

◆新スーパーフード

 2007年から2012年にかけて私が行なった実地調査の根底にはそのような疑問があった。そこで複数の乳製品企業と消費者双方に調査を行い(英語版および日本語版はこちらから)、ヨーグルトのブルガリアから日本までの時間と空間を超えた変容を観察し、追跡した。

 私は調査対象者に次のような質問をした。「ヨーグルトを食べている時、実際に食べているものが何だと考えますか。ヨーグルトは健康に効果のある菌、おしゃれなトレンド、それとも健康食品ですか?」

 その結果、「科学的に証明された科学的根拠に基づく健康食品」という現在の日本国内におけるヨーグルトの位置づけは、巧みなマーケティングキャンペーンにより作られたものであり、神話を作るブランド戦略を通して従来食されてこなかったこの製品が消費者に定着したことが明らかになった。

 明治のヨーグルトのCMは自社製品の発祥がブルガリアであることを絶賛し、この東欧の国をヨーグルトの聖なる発祥地として紹介している。そして消費者にブルガリアでは乳製品の生産は古くからの伝統であり、「風や水や日光が格別である」ことを伝えている。

 現在では製品の市場シェアが43パーセントを占め、ブランド認知度が98.9パーセントにも上る明治ブルガリアヨーグルトに明治が投資した誘因は何だったのだろうか?

◆長寿の追求

 明治は60年代後半、日本市場向けにブルガリアスタイルのヨーグルトを開発する方法を検討し始めた。

 当時、日本で購入できるヨーグルトといえば甘く、ゼリーのような舌触りをもつ熱処理された発酵乳タイプしかなかった。株式会社明治によると、明治ハネーヨーグルト、雪印ヨーグルト、森永ヨーグルトは80グラムの小瓶入りで販売され、おやつやデザートとして食されたという。

 ブルガリアで一般的に食されるような生きたブルガリア乳酸杆菌(Lactobacillus bulgaricus)の入ったプレーンヨーグルトは存在しなかった。

 明治ブルガリアヨーグルトプロジェクトのスタッフだった1人は、1970年に開かれた大阪万博のブルガリア館で展示されていたプレーンヨーグルトを試食した時に受けた感銘を今でも覚えていると話してくれた。それは奇妙で強烈な酸味だったという。

 だがプレーンヨーグルトには強力な利点があった。それは確実に寿命が延びることだった。20世紀初頭、ノーベル賞受賞のロシア人科学者イリア・メチニコフ(1845-1916年)は大腸内の毒素細菌が老化の原因だとする理論を展開し、乳酸菌がその毒素を中和し、加齢のプロセスを遅らせることを突き止めた。

 そして、メチニコフはブルガリアの自家製ヨーグルトから分離したブルガリア乳酸杆菌の圧倒的な効果を称賛し、毎日ヨーグルトを食べることを推奨した。

 この神話は今もなお健在だ。ブルガリアで現地調査を行った際、ブルガリア菌はいかに強力か、ブルガリア菌でいかに美味しく健康的なヨーグルトが作れるかという同じ話を幾度も聞いた。

 ある年配の婦人は娘が大病から回復したのは自家製の山羊乳ヨーグルトのおかげだと考えていた。

 「この桿菌があるからこそブルガリアのミルクなんですよ。若い頃はあまりヨーグルトを食べなかったけれど、今じゃ毎日食べているから血圧も正常になったし、とても元気なの!」、と彼女は語った。

◆「食べられない」から「かけがえのない」 に

 明治は生きたブルガリア乳酸杆菌を使ってプレーンヨーグルトを生産するのは技術的に困難ではないことに気づいた。1971年、明治はこの革新的な製品を国内で発売し、単純に「プレーンヨーグルト」と名づけた。プレーンヨーグルトは消費者には不評だった。傷んでいるから酸っぱいのだろうと考えたり、そもそも口にして良いものなのか疑ったりする者もいた。

 だが明治は耐えた。1973年、ブルガリア国有乳業会社とヨーグルトのスターター培養の輸入契約を締結後、製品名を「明治ブルガリアヨーグルト」と改名する許可を得た。

 その狙いは、羊や牛の群れ、伝統衣装をまとったバグパイプ奏者、自然と調和して暮らす健康的な高齢者といったブルガリアののどかな田園風景をフルに活用して「本場のヨーグルト」であることを売り込むことだった。

 1980年代、明治はこの戦略を詳細な微生物学研究やブルガリアとのさらに緊密な連携と組み合わせた。1984年の新しい明治ブルガリアヨーグルトはパッケージがスリムになり、製品の市場での存在感の構築に一役買った。

 1996年には明治ブルガリアヨーグルトに政府発行の特定保健用食品の表示許可を受け、一層弾みがついた。以来、健康効果に重点が置かれた明治ヨーグルトのブランド戦略とマーケティングが展開されている。

◆ヨーグルトの聖地のブランド化

 明治は、自社のブルガリアのブランドに新たな意味、イメージ、価値を植えつけることで、相当の利益をあげたばかりでなく、ブルガリアの「ヨーグルトの聖地」としての美しいイメージを国内に創り出した。

 一方、ブルガリアでは日本人が作ったブルガリアヨーグルトの人気ぶりにマスコミが関心を寄せている。2015年のある記事では、明治ブルガリアヨーグルトはコカ・コーラよりも人気があると日本の消費者が主張していると記載している。

 旅行や食事の情報であろうと経済記事であろうと、日本に関する大半の記事には、ブルガリアのヨーグルトのサクセスストーリーが載っており、この成功談は自国に対する誇りを掻き立てたい企業や社会主義脱却後のブルガリアの政治家らにも利用されている。

 私が出会った多くのブルガリア人にとって、自国のヨーグルトが日本で新しく持った アイデンティティーはまさしくブルガリア人としての伝統を体現したものだ。同時に、自国のヨーグルトが世界の経済大国の1つに健康と幸福の象徴として受け入れられたことで近代的な世界との一層のつながりを感じている。

 グローバライゼーションは世界各地で文化的価値を揺らがしているだろうが、日本国民の健康と栄養の源、ブルガリア国民の魂の癒しとなったヨーグルトの変容は奇跡的な事例だ。

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山中ブルガリア大使が辞職=元文科次官、天下り問題で

 政府は19日午前の閣議で、文部科学省の組織的な天下りあっせん問題を受け、岸田文雄外相に辞意を伝えていた元文科事務次官の山中伸一ブルガリア大使の辞職を認めた。文科省は3月に発表した天下り問題調査の最終報告で、山中氏について「極めて重大な責任があった」として、停職相当の懲戒処分とした。
(2017/05/19)
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ブルガリアワインに注力 東京でセミナー 三菱食品


ロゴダジ社代表 ペーター・ドロサンスキー氏(右)、醸造責任者のムラッド・オウダ氏(左)、毛利信作 三菱食品常務執行役員酒類事業本部長(中)

三菱食品は24日、このほど国内独占販売を開始したブルガリアワイン「ロゴダジ」の試飲セミナーを東京の渋谷エクセルホテル東急で開催した。ロゴダジ社代表のペーター・ドロサンスキー氏=写真㊨=と醸造責任者のムラッド・オウダ氏=同㊧=を講師に招き、同社ワインの魅力を得意先関係者に伝えるもの。

ロゴダジ社は94年にブルガリア南西部に設立された有力ワイナリー。手摘みによるぶどう収穫やバトナージュ(醸造工程での撹拌)にこだわりを持ち、高品質で手頃なワインを国内および欧州に送り出している。年間生産量約350万本。

セミナーではオウダ氏が日本発売第1弾となるフルボトル1千200~2千800円のラインアップを試飲形式で紹介。主力「ノビレシャルドネ」(2千円)について「フランス産に近い仕上がりだが、違いはお値段」と述べるなど、圧倒的なコストパフォーマンスに自信をのぞかせた。

ブルガリアでは90年代の民主化を境にワイン生産が活発化。欧州の有力生産者が積極的に進出したことで、品質が著しく向上した。三菱食品は2月に幕張メッセで開催されたスーパーマーケットトレードショーでロゴダジ社のラインアップを初披露。「大変好評で、営業に行くところすべてで採用が決まっている」(毛利信作常務執行役員酒類事業本部長=同㊥)という。

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